- 出演者
- 松嶋菜々子
オープニング映像。
1976年日本武道館で試合が行われた。世紀の1戦として注目されていた。視点1はモハメド・アリはなぜこの1戦に挑もうとしたのか?アメリカでアリの試合をプロモートしてきたボブ・アラムはボクシング界の重鎮だ。アリと猪木の戦いについて、派手なショーになると思っていたからだと話した。アリが世界チャンピオンに返り咲いてまもなくの頃、日本料理のレストランにいた。その時、「俺に挑戦しようというアジアの格闘家はいないのか」と言った。当時アメリカではブルース・リーが人気だった。アリが日本に立ち寄った時にアントニオ猪木から手紙を受け取りアリはその挑戦状を受けた。アリと猪木の試合を中継するのにボブはやる気を出した。
ボブはビンス・マクマホン・シニアを尋ねた。ビンスは予め台本を作ってその筋書き通りに戦わせればいいと言った。アリは筋書き通りに戦うことを受け入れたという。またアリは猪木戦の3カ月後に因縁のライバルとのタイトルマッチを控えていてケガをするわけにはいかなかった。新間さんが猪木から預かっていたテープには自分が負けるならこの試合はショーだと公表すべきだとアリが考えていた音声録音されていた。猪木はアリの訴えには何も答えなかったという。
世紀の一戦まであと10日となり、アリが羽田空港に降り立った。迎え撃つ猪木は本気だった。当時入門して4年目だった藤原喜明は猪木の付き人で練習相手を務めていた。公開スパーリングでアリが見ている前で藤原がキックを受けた時のことを話した。ノンフィクションライターの柳澤さんは猪木の覚悟を感じたという。猪木がアリ戦へ賭けるもう一つの思いはジャイアント馬場への対抗心だ。約600万ドルのファイトマネーで契約した以上最高の試合にしたかった。公開スパーリングをきっかけにアリ陣営は本格的に対抗策を考え始めた。アリ陣営は猪木陣営は様々な要求を突きつけられた。互いに言葉が上手く通じず最後は罵り合いになったという。ケガをするリスクを負ってまでアリを戦わせることは出来なかったなどとボブは言った。試合前日にルールの一端が公表された。試合はボクシングルールだった。
1976年6月26日に試合が行われた。
試合当時、猪木のキックがアリの足を直撃しジーン・キルロイは咄嗟に叫んだという。アントニオ猪木はアリキックを準備していて寝て戦っていてアリは起きて戦えと叫んでいた。藤原さんはリングの外側でそれを見ていた。膠着状態だった試合が第6ラウンドでついに動いた。アリが仕掛け猪木がアリをマットに倒した。試合は最終15ラウンドまでもつれた。判定は引き分けだった。猪木は泣いていたという。この一戦が猪木の格闘技人生を大きく変えることになった。
アナザーストーリーズ 運命の分岐点の次回予告。