- 出演者
- 博多大吉(博多華丸・大吉) 博多華丸(博多華丸・大吉) 佐久間大介(Snow Man) 馬瓜エブリン 桜田ひより
イギリスから初来日したアレキサンダー・ロバートソンさん。1972年、当時12歳だったアレキサンダーさんは家族とともに太平洋を航海中に遭難。1カ月以上にわたって漂流し生死をさまよった。命を救ったのは22人の日本人だったという。救出劇は当時、世界中で報じられ、エリザベス女王から感謝状も送られた。アレキサンダーさんは「きちんと感謝を伝えられていないのが心残りだった」という。22人の連絡先も消息もつかめていないが、再会できるのか。
1971年11月、当時12歳のアレキサンダーさんは両親と2人の兄と共にイギリス・ファルマス港から出航。イギリスで牧場を経営していた両親は子が巣立つ前に家族で思い出を作りたいと全財産をなげうってヨットを購入、世界一周の旅に出かけた。そして、1972年6月15日、ガラパゴス諸島沖を進んでいた時にシャチと激突しヨットが沈没。緊急用の小型の船で5人は漂流することに。ヨットから持ち出せたのはナイフ・懐中電灯・救命用信号とわずかな食料と水10リットル。一家は助けを待ったが、貨物船の航路には入っていないエリアで船はなかなか通らない。漂流から7日目、遠くに船が見え救命用信号を発射するが気づかれることはなかった。漂流13日目を過ぎると、食料も水を底をつきかけ、ウミガメの血や生肉で飢えをしのいだ。漂流生活は30日を超えた。ウミガメで命をつないでいたが、とり逃すと父に叱られるなど家族は荒んでいった。漂流から38日目、日本の漁船に一家は救助された。救ってくれた22人の日本人はマグロ漁船の船員だった。翌日、母は船を訪ねたがすでに漁へと出港していて感謝を伝えることは叶わなかった。それから52年、ありがとうを伝えたいとアレキサンダーさんが来日した。
大吉が「この5人で遭難したら」と言うと、馬瓜エブリンは「壮絶なムードになると思う。だれがクッキーを何枚食べるか」と答えた。実際に遭難した船を見た5人は再現VTRよりも小さくて驚いた。
船員たちを探す手がかりは救助後に撮った写真と船の名前が「東華丸」ということ。東華丸が気仙沼にある会社の船だという情報を掴み、元漁師が所属する協会で尋ねると52年前の救出劇を知っている人がいた。東華丸も東華丸を所有していた会社も今はなく、資料も震災の津波で失われたという。手がかりを求めて三陸新報社で当時の記事を見せてもらうと、そこには船長の名前が掲載されていた。新聞社の方に調べてもらい、船長に会えることに。
アレキサンダーさんは一家を救ってくれた当時の船長・鈴木清人さんに再会。さらに、近所に住む鈴木船長の甥で当時の船員だった小川さんも来てくれた。当時、東華丸は南米に進む予定だったがエンジンが故障し、より近い中米の港へ進路変更。この偶然によって漂流する船を発見できたのだという。海賊の船だったら襲われるところだったが、必死に確認を続け家族の姿を確認すると全速力で救助に向かったという。そして、鈴木船長は救出から12年後にアレキサンダーさんの母リンさんから送られた手紙を見せてくれた。
アレキサンダーさんにはもう1人会いたい船員がいた。それは、救助された後に体調を崩したアレキサンダーさんにうどんを作ってくれた船員のコックさん。
ミャンマーから来日しIT企業に勤めるエイチェー・モーさん。2020年、来日2年目のモーさんはコンビニでバイトを始め緊張と戸惑いの連続の日々。そんな時、爆音を鳴らしながら来店したおじさん。モーさんが感激したおじさんの行動とは?
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- 北区(東京)
モーさんが感謝しているおじさんは何をしてくれたのか。現地、福岡のコンビニで張り込むとそのおじさん、長戸さんに会えた。長戸さんは店に来るたびにモーさんに差し入れをしてくれていたという。長戸さんは若い頃に故郷から遠く離れた街で働き、方言が分からず孤立してしまった過去があり、国を離れて日本で頑張るモーさんに自分を重ねて応援したかったのだという。バイクは爆音ではない新車に乗り換えていた。
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- 福岡県
ドイツからやってきたハビーさんは同僚を探している。手がかりは当時研修で働いていた三菱電機、記憶している「サカイ」「クボアサミ」という名前、撮影していた当時の映像。ハビーさんは過去にも2度来日し同僚を探すが見つからなかった。ハビーさんが持つ映像にはサカイさんの当時の住所が映っていた。
1991年当時、日本の半導体技術は世界最先端。三菱電機はドイツに半導体関連の工場を作ろうと計画、ドイツから多くの研修生が来日する中に当時23歳のハビーさんがいた。1991年に兵庫と愛媛の工場で計6か月働きながら研修を受けたが、最初の伊丹市の工場では日本になじむことができなかった。そんな時、声をかけてくれたのが同じ職場のサカイさん。おかげで徐々に同僚とも打ち解けていったという。
サカイさんが当時住んでいた住所に行くと、当時の映像と同じ建物が。しかし、ここにはもう住んでいないようだった。周辺で聞き込むが新たな手がかりはつかめなかった。そこで、かつて研修を行った三菱電機の北伊丹工場を訪問することに。ハビーさんは2014年にも工場を訪問していたがサカイさんについて分からずじまい。今回話しを聞くと、ハビーさんが所属していた部署は別会社・ルネサスエレクトロニクスとして独立していた。ハビーさんが研修を受けた愛媛県の工場はルネサスの工場として残っていた。ハビーさんは思い出せる限りの同僚の名前をあげて調べてもらうことに。結果、サカイさんと同姓同名の人物が東京本社に、クボアサミさんと同姓同名の人物はこの西条工場で働いているという。2人の住所は教えられないが、指定の場所に来てもらうよう頼んでくれるということだった。
90年デビューの博多華丸・大吉はハビーさんとほぼ同期だと言い、当時の映像の服装や雰囲気を懐かしんだ。ハビーさんは当時、ドイでは見たことがないと自動販売機を撮影しまくっていたという。
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- FUNK FUJIYAMA米米CLUB
はじめは日本人を警戒し壁を作っていたハビーさんだが、送別会の映像では同僚たちと遠慮なく本音で笑い会えるようになっていた。翌日は日程的にラストチャンス。33年前のありがとうは伝えられるのか。ハビーさんは約束の部屋へ向かった。
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- 西条市(愛媛)
ハビーさんが約束の場所へ向かうとそこには10人の元同僚が集まっていて、探していた久保さんも来てくれていた。久保さんが退職した人たちにも声をかけてくれたという。サカイさんは東京本社に在籍しているものの、リモート勤務で熊本に住んでいるという。遠くに住んでいるということで会えないかと思ったが、サプライズで酒井さんも熊本から愛媛まで駆けつけてくれた。そして、みんなでハビーさんが撮影した当時の映像を見た。ハビーさんは「今の私があり、成長できたのは日本のみなさんのおかげ。どうもありがとうございました」とお礼を言うことができた。
都内で増えている外国人タクシードライバーが見つけた思わず感謝したくなるスポットを紹介してもらう。1人目はイタリアから来たマッシモさん。紹介してくれたスポットは幡ヶ谷にある公衆トイレ。イタリアの公衆トイレは有料が多いのだという。マッシモさんのスマホには東京中の公衆トイレの写真が収められていた。
2人目はブラジルから来たサントスさん。来日して28年で趣味はスイーツめぐりで、「むさしの森Diner」のふわっとろパンケーキが大好き。サントスさんのアリガトスポットはパーク ハイアット 東京の41階「ピーク ラウンジ」。新宿の街を一望できる窓からの眺めがありがたいというサントスさん。ヒントはブラジルで撮影された動画の中に。そこに映る驚きのモノとは?
京都で高齢のオペラ歌手を探すキャサリンさん。2015年3月に京都と旅行中、キャサリンさんは宿の予約を1年間違えてしまっていた。急遽、宿をさがすがどこも満室。日本語も分からないなか行き場をなくし、宿泊施設のカフェで絶望していたキャサリンさん。その時、声をかけてくれた女性に言われるままついていくと車に乗せられた。女性はキャサリンさんがドイツから来たと知ると、車内で野ばらをドイツ語で熱唱。
それから9年、京都でオペラ歌手を探すキャサリンさんはオペラ公演で有名なホールを片っ端から当たっていく。すると、オペラ歌手が約500人所属している関西二期会という団体を教えてもらった。しかし「京都」「高齢オペラ歌手」という手がかりだけでは分からないということだった。キャサリンさんはなぜそこまであのオペラ歌手に会いたいのか。9年前、シューベルトを歌ったあと思わぬ展開があったという。
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2024年6月16日(16:00)