- 出演者
- 富澤たけし(サンドウィッチマン) 伊達みきお(サンドウィッチマン) 芦田愛菜 松岡修造 生見愛瑠
12位は清水宗治。現在の岡山県にあたる備中高松城の城主。1582年、豊臣秀吉の執拗な水攻めによって約5000人もの領民たちが閉じ込められて完全に孤立した時、家臣を守るために切腹した。
博士ちゃん劇団による再現ドラマ。たまたま羽柴秀吉にお茶を出した当時15歳の石田三成。喉が乾いた羽柴秀吉に対し、1杯目はぬるい茶、2杯目は温かい茶、3杯目は熱々の茶を出す気遣いをみせ、豊臣秀吉が目を付けたという。
10位は細川忠興。禁教令でキリスト教が厳しく弾圧されていた時代。キリスト教徒の妻・細川ガラシャが異端の目で見られていた。細川ガラシャの死後、細川忠興はキリスト教の葬式を挙げるなど妻想いの人物だったという。
9位は上杉謙信。ことわざ「敵に塩を送る」の語源について、お城博士の栗原響大くんが解説。武田信玄がいた甲斐国は内陸国だったため塩が採れない。戦で今川家や北条家から塩が買えなくなった時、武田信玄と争っていた上杉謙信は「私は弓矢で戦うことこそ本分だと思うので塩止めには参加しない」などと塩を買えるようにしたというエピソードがあるという。
8位は成田長親。成田長親の胸アツエピソードといえば忍城の戦い。石田三成が成田長親が籠城する忍城の周りに28kmにもわたる堤防を建設。周囲の川を氾濫させることで本丸以外が水没してしまう絶体絶命にあったが、成田長親を慕う農民たちが奮起して最後まで陥落することはなかった。
伊達政宗博士の御園生夏姫ちゃんが伊達政宗について解説。伊達政宗は武士のプライドを捨てて土下座するというエピソードがある。豊臣秀吉が小田原攻めをしていた時、伊達政宗にも召集がかかった。しかし、小田原城主の北条氏と仲が良かったため戦に参加したくなかった伊達政宗は大遅刻で戦場に到着。伊達政宗は白装束で豊臣秀吉の前に現れ、死に値するミスを犯したという意味合いを込めて土下座をしたという。
お城博士の栗原響大くんと松岡修造が足軽を装って難攻不落の大阪城を攻めた。最強の枡形虎口を突破した2人は非公開エリアの江戸時代に建造された櫓の内部に潜入した。多門櫓を見学した後、天守を守る最後の砦・桜門をナンバ走りで突破した。
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6位は鳥居強右衛門。教科書に乗らない足軽がランクインしたのには理由があった。
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博士ちゃん劇団による再現ドラマ。1575年の長篠の戦いの舞台となった長篠城では奥平軍500人が敵の猛攻に耐えていた。鳥居強右衛門は援軍を呼びに130kmの道のりをわずか一日で走ったが、期間寸前で敵に捕まってしまい城を守るために自分の命を引き換えにした。
松岡修造は「子どもたちが(鳥居強右衛門を)選んだことがすごくうれしい」などと話した。
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帰れマンデー見っけ隊!!の告知。
5位は竹中半兵衛。黒田官兵衛とともに豊臣秀吉に仕え、「秀吉の二兵衛」と呼ばれた天才軍師。あることをきっかけに黒田官兵衛が裏切ったと勘違いした織田信長。織田信長は竹中半兵衛に黒田官兵衛の息子を殺すように命令したが、竹中半兵衛は黒田官兵衛の子どもをこっそり匿っていた。
4位は島津義弘。歴史本博士の岡田有史くんが島津義弘について解説。関ヶ原の戦いで西軍についた島津軍。多くの武将が徳川家康側の東軍に寝返り、開戦後すぐ敗戦濃厚に。島津軍はわずか300人程度となり数万の軍勢に取り囲まれるが、島津義弘の奇策で逃げ切ることに成功した。