- 出演者
- 名倉潤(ネプチューン) 堀内健(ネプチューン) 日村勇紀(バナナマン) 設楽統(バナナマン) 原田泰造(ネプチューン) 土田晃之 若林有子
今回は時代を越えて愛される大ヒット食品のヒミツSP 。
カルビーかっぱえびせんが登場したのは東京に初めてオリンピックがやってきた昭和39年。女子バレー日本代表が金メダルを獲得した決勝戦の視聴率は66.8%を記録した(ビデオリサーチ調べ)。かっぱえびせん大ヒットへのブレイクポイントは昭和44年。発売のきっかけはカルビー創業者・松尾孝の思い出の味。母が作った川海老の天ぷらをお菓子にしたら売れると社長肝いりで発売したが、売上はそこそこだった。発売から5年後の昭和44年、CMのキャッチコピー「やめられない、とまらない♪」が大流行し認知度がアップした。売上は前年比2倍に急上昇した。その後もパッケージ変更やえびの風味を高めるなど進化を続けた。かっぱえびせんの生地はまずえびをすり潰し、小麦粉・でんぷん・塩などを混ぜ合わせる。できた生地をローラーで伸ばし細かい筋を入れる。表面積が増えることで乾燥する際水分が抜けやすく、サクサク食感になる。筋は約10本と決められている。
今回は「昭和に生まれ昭和平成令和と時代を越えて愛され続ける大ヒット食品のヒミツ一挙大公開SP」。国民的ヒット食品となったブレイクポイントには知られざるドラマがあった。そして裏側には昭和を彩ったものたちが関係していた。
森永製菓ハイチュウのブレイクポイントを紹介。世界陸上ブダペストでは、北口榛花のコーチが緊張を紛らわせるためスタンドでハイチュウを食べていたことが話題になった。誕生したのは昭和50年。大ヒットへのブレイクポイントは昭和61年と平成24年。昭和61年には新しく濃縮果汁を使用することでフルーツ感を大幅にアップした。形も発売当時は三層構造だったのが二層構造にした。とんねるずをCMに起用し、パッケージも箱型からスティックタイプへと変更した。リニューアルの結果、前年比2倍の売上となった。平成24年にはアメリカで大ヒット。立役者は元ボストン・レッドソックスの田澤純一選手だった。メジャーリーグの新人の選手はブルペンのお菓子を用意しなくてはならず、田澤選手がハイチュウを用意したところ人気になった。ハイチュウ人気はメジャーリーグ全体に広がり、アメリカの国民的ヒット商品となった。イヴァンカ・トランプやライアン・ゴズリングなどセレブたちにも人気。現在アメリカでの売上は日本を超えている。
ハイチュウの作り方を紹介。まずはもとを作る工程。水あめに砂糖を加えたものを高温で煮詰めて原液を作る。続いて味つけの工程。外側はぶどう果汁とぶどうジャム。コンコード種というジュースにも使われるアメリカ産のぶどうを使用している。内側はさっぱりした味つけにすることで後味がすっきりする。ゼラチンを水あめに加えることで弾力が生まれる。最後は形作り。外側が薄く平らに伸ばされ、棒状になった内側を包んでいく。ローラーで細く四角い形にする。
大正製薬リポビタンDのブレイクポイントを紹介。栄養ドリンクの元祖で、誕生したのは昭和37年。ヒットへのブレイクポイントは発売翌年の昭和38年。発売当初は医薬品として薬局でのみ売られていた。飲めば疲れが取れる上に飲みやすいと発売後すぐにヒット。当時の薬局では冷蔵ケースはなかったため常温で販売しようとしてたが、社長は「冷やしてこそ飲みやすい」と冷蔵にこだわった。冷蔵ケースを置かせてもらえるよう薬局に交渉した。そこから冷蔵ケースが全国に展開された。翌年売上がさらに3倍に伸びるきっかけは王貞治をCMに起用したことだった。王貞治人気の上昇とともに売上も上昇した。王のCMは11年間続き、その後「ファイト一発」でおなじみのCMが始まった。現在でも発売以来62年連続栄養ドリンク売上1位を維持している。リポビタンDのベースとなるのは純度の高い精製水。タンクで精製水にタウリンなどの成分を溶かしていく。クエン酸とタウリンを入れて混ぜ、ビタミンB1・B6、カフェイン、ビタミンB2を投入する。ビタミンB2は黄色い色をしており、リポビタンDが黄色い理由だった。全国に20名いる風味ソムリエの1人、山地さんに何味なのかを聞いた。パイナップルの酸味と甘味を参考に作ったミックスフルーツフレーバーを混ぜ合わせていた。
石井食品「イシイのおべんとクン ミートボール」のブレイクポイントを紹介。誕生したのは長嶋茂雄が引退した昭和49年、ブレイクポイントは発売から5年後の昭和54年だった。誕生のきっかけはハンバーグ製造機を買うためアメリカに向かった社長がミートボールを試食して感動し、ミートボールの製造機を買って帰ったことだった。帰国後に中華風甘酢味のミートボールを発売したが売れなかった。ヒットへのきっかけが訪れたのは昭和54年。毎年春と秋に売上がアップしていることに気づいた社長は、10月にある場所に向かった。「10月に社長が向かった先はどこ?」と出題された。選択肢は「青 美術館」「赤 小学校の運動会」「緑 パチンコ」。dボタンでクイズに参加できる。
「10月に社長が向かった先はどこ?」と出題された。正解は「赤 小学校の運動会」。社長はそこで子どもたちの弁当にミートボールが入っているのを見つけた。お弁当のおかずとして需要があると気づいた社長は子どもが好きなトマトソース味に改良し、商品名やパッケージもお弁当用とわかるようリニューアルした。すると売上が急増し大ヒット食品となった。その後も保存料や着色料を使わない調理法に変更したりと進化を続けた。現在でも日本一売れているミートボールとなった。肉は国産鶏むね肉と旨味の強い骨周りの鶏肉をひき肉にしたものの2種類を使用している。まず異物が混ざっていないかX線検査で確認したあとミンチ状にする。鶏ひき肉に調味料、従業員が手作業で皮をむき機械でみじん切りにした玉ねぎ、パン粉を混ぜ合わせてできた生地を機械で形成。円柱形に型抜き油で揚げる。低温の油で揚げることで膨らみながら固まり丸くなる。社員イチオシのアレンジレシピ「ミートボールのマルゲリータ風トースト」の作り方を紹介した。食パンにミートボール、モッツァレラチーズをのせミートボールのトマトソースをかける。焼き上がったらこしょうをふりバジルをのせる。
江崎グリコ「パピコ」のブレイクポイントを紹介。誕生したのは昭和49年、ブレイクポイントは昭和52年と平成10年だった。片手で吸える容器や名前の親しみやすさもありパピコは発売後すぐに人気商品になった。子ども向けに発売したパピコだったが中学生からも人気が高いことが判明し、大人向けに発売した新しい味が大ヒットへのきっかけになった。「大人向けに発売した新しい味は?」と出題された。選択肢は「青 パクチー」「赤 ぶどう」「緑 チョココーヒー」。dボタンでクイズに参加できる。
「大人向けに発売した新しい味は?」と出題された。正解は「緑 チョココーヒー」。チョココーヒーが登場し人気だったパピコの売上をさらに倍増させたが、1980年代に他社からも多くのアイスが発売されパピコの売上は伸び悩んだ。その後平成10年にガリガリ食感からなめらか食感へとリニューアルし、売上は右肩上がりとなり大ヒット商品となった。パピコは製造工程で2回に分けて凍らせている。砂糖・乳製品・チョコレートをかき混ぜてアイスクリームミックスを作り、機械で空気とかき混ぜながらフローズン状態を作る。かき混ぜることで小さな氷の粒同士がくっつくのを防ぎ、なめらか食感を作り出している。フローズン状態のアイスを容器に入れ一気に-10℃まで冷やす。
ヤクルトのブレイクポイントを紹介。誕生したのは昭和10年、ブレイクポイントは昭和38年と昭和43年だった。代田稔が乳酸菌シロタ株の強化培養に成功しヤクルトが誕生したが、発売当初の売れ行きは低迷した。その後営業努力で売上が上向いてきた昭和38年、大ヒットのきっかけが訪れた。「昭和38年 ヤクルト大ヒットのきっかけとなった人物とは?」と出題された。選択肢は「青 ピンクレディ」「赤 ヤクルトレディ」「緑 レディガガ」。dボタンでクイズに参加できる。
「昭和38年 ヤクルト大ヒットのきっかけとなった人物とは?」と出題された。正解は「赤 ヤクルトレディ」。届け先の主婦から同性として親しみを持って受け入れられ、売上が上昇した。昭和43年にはガラス瓶からプラスチック容器へのリニューアルによる新規顧客の開拓が第2のブレイクポイントとなった。回収の手間もなくなり軽くなったことでヤクルトレディの作業効率がアップし、一度に多くのヤクルトを届けられるようになった。昭和44年には1日の販売本数が1000万本を突破した。ヤクルト1本に入っている乳酸菌の数は、昭和30年には1000万個だったが令和元年には1000億個に増加。現在年間33億本以上を売り上げるヒット商品となった。ヤクルトの主な原料は脱脂粉乳。お湯で溶かした仕込み乳を高温殺菌すると糖が熱に反応して自然にクリーム色になる。乳酸菌シロタ株を仕込み乳と混ぜ合わせ、温度調節をしながら時間をかけて乳酸菌を培養すると菌液ができる。菌液にシロップを加えた原料液に殺菌した水を加えて完成。
丸美屋「のりたま」のブレイクポイントを紹介。誕生したのは昭和35年、ブレイクポイントは昭和39年だった。旅館のような朝食を過程でも、という思いから高級食材だったたまごとのりを使用した。当時のふりかけは魚粉を使ったものが一般的で、初めてたまごを使ったのりたまは発売してすぐにヒットした。昭和39年にのりたまを大ヒット食品へと押し上げるヒーローが現れる。「のりたま大ヒットのきっかけとなったスーパーヒーローは?」と出題された。選択肢は「青 ウルトラマン」「赤 ガッチャマン」「緑 エイトマン」。dボタンでクイズに参加できる。
「のりたま大ヒットのきっかけとなったスーパーヒーローは?」と出題された。正解は「緑 エイトマン」。SFヒーローものの先駆けでアニメの視聴率は30%超えを記録(ビデオリサーチ調べ)。当時丸美屋はこのアニメのスポンサーだったことからエイトマンのシールをのりたまのおまけにつけて販売し、子どもたちから大人気となった。その後も たまご増量、塩分カットといった味の進化やパッケージ改良など進化を遂げ、18年連続ふりかけシェアNo.1。のりたまの中には計7種類の材料が入っている。サクサクたまご顆粒、ホロッとたまご顆粒、大きいたまごそぼろという3種類のたまごが入っている。たまごは様々な産地のたまごをブレンドすることで同じ色と味を保っている。茶色い粒はさば節で、あっさりとした香りと濃厚でコクのある味わいが特徴。かつお節は匂いが強いためさば節を使っている。さば節にごま・醤油などで味つけ。緑の粒は抹茶塩。巨大ミキサーで7種類の材料を混ぜ合わせて完成。社員イチオシのアレンジレシピ「揚げないのりたまコロッケ」を紹介した。茹でたじゃがいもを潰しのりたまを加え混ぜ合わせる。パン粉と油を混ぜ、オーブンで焼き色がつくまで加熱する。じゃがのりたまを丸め焼いたパン粉をまぶせば完成。
味の素冷凍食品「ギョーザ」のブレイクポイントを紹介。東京オリンピック2020の選手村で冷凍ギョーザが提供されると、7人制ラグビーアメリカ代表のイローナ・マー選手がSNSにべた褒めする動画をSNSにアップ。各国の選手からも絶賛する声が寄せられ話題となった。「ギョーザは現在10種類販売されているが売られていない商品は?」と出題された。選択肢は「青 とろけるチーズ餃子」「赤 海老大餃子」「緑 シャキシャキやさい餃子」。dボタンでクイズに参加できる。
「ギョーザは現在10種類販売されているが売られていない商品は?」と出題された。正解は「青 とろけるチーズ餃子」。味の素冷凍食品のギョーザが誕生したのは昭和47年、ブレイクポイントは平成9年と平成24年だった。発売当初売上は低迷したが、昭和から平成に変わる頃生活スタイルが変わり冷凍食品全体の需要が増えていった。平成9年に油なしで焼けるギョーザを発売すると、手間を省ける上に失敗しづらいと売上がアップ。そして平成24年には油だけでなく水もなしで焼けるギョーザを発売。フライパンに置いて焼くだけで羽根つきギョーザが作れるようになり、再び売上がアップした。冷凍食品の売上で20年連続で日本一となっている。キャベツは手作業で芯を取り除いている。ざく切りキャベツをみじん切りにし、ニラは機械でみじん切りされたあと手作業で選別している。たミンチ状にし豚肉と鶏肉に塩コショウなどを加え、玉ねぎ、ニラ、にんにく、キャベツ、ごま油を加え軽く混ぜている。皮は小麦粉・塩・水を混ぜたものを真空混合機でこね、できた生地を型抜き。餡をのせて機械で包んでいる。ギョーザの底に水と油を配合した羽根のもとがつけられ、加熱すると成分が溶け出すことで油や水がなくても羽根つきギョーザを焼き上げることができる。冷凍する前に蒸すことで小麦粉の粘土が増し破れにくくなる。社員イチオシのアレンジレシピは「ギョーザ茶漬け」。ご飯の上にギョーザをのせてお茶をかける。
桃屋「ごはんですよ!」のブレイクポイントを紹介。誕生したのは昭和48年。ごはんですよ!誕生前、桃屋では江戸むらさきという海苔の佃煮を販売していた。お酒のあてとしても人気の商品だったが、全世代に愛される商品をとごはんですよ!を発売するとすぐにヒットした。先代の社長がネーミングを悩んでいるときに奥さんに「ごはんですよ」と言われてピンときたことからネーミングが決まった。「写真のお店で実際に行われたサービスとは?」と出題された。選択肢は「青 時間無制限食べ放題」「赤 無料プレゼント」「緑 ボトルキープ」。dボタンでクイズに参加できる。
ベスコングルメの番組宣伝。
バナナマンのせっかくグルメ!!の番組宣伝。