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オープニング映像。
もし核兵器が使用されたら?長崎大学核兵器廃絶研究センターの鈴木達治郎さんは米韓の核兵器戦略や安全保障の専門家ら北東アジアで核兵器が使われるケースを洗い出し、その被害規模を初めて試算した。北朝鮮が発射実験を繰り返す弾道ミサイルに本土が脅かされるという理由でアメリカが北朝鮮の核ミサイルシステムを核攻撃する。北朝鮮は日韓の米軍基地に核で反撃し中国も介入して計18発の核兵器が使用されるケースでは1年以内に210万人が死亡。放射線や放射線硬化物の死の灰の影響でがんでなくなる人は最大92万人になると推定した。台湾有事から、中国とアメリカの核戦争がエスカレートし、24発が使用されるケースでは直接の死者が260万人、死の灰は日本や東南アジアなどに拡散し最大83万人が死亡すると推計した。医師で長崎被爆者の朝長さんは、白血病研究や被爆者医療につくし、現在も診療を続けている。朝長さんは去年に、原爆投下を正当化する考えが強いアメリカで核兵器の廃絶を訴えるキャラバンツアーを発案した。
その旅の途中他の被爆者とともにシカゴで上映中の映画オッペンハイマーをみた。原爆の開発を指揮した理論物理学者のロバート・オッペンハイマー。映画には原爆投下による惨状を知って苦悩を深めて行く様子などが描かれた。広島と長崎に原爆が投下され終戦を迎えた時にアメリカは歓喜に湧いた。しかしそのキノコ雲の下では何の罪もない多くの命や人生が奪われた。高齢化する被爆者の願いを受け継ぎ次の世代につなぐ若者がいる。山西咲和さんは海外の大学で国際安全保障や政治社会学などを学んでいる。国連欧州本部に核兵器廃絶を願う10万8476の署名を届けた第21代高校生平和大使の一人。
コレまで多くの被爆者の声に耳を傾けてきた。小学5年生のときに爆心地からおよそ800mの防空壕で被爆した。原爆で母と姉、兄を失い10年後には後遺症を抱える妹が自ら命を絶った。咲和さんは高校を卒業したあとも足に内外で被爆者の体験を語り継ぐ活動に取り組んでいる。6月に咲和さんが訪れたのはオーストラリアのメルボルンにある日本人学校。海外で暮らす日本人の友だちに被爆者で祖母の被爆体験を伝えようと咲和さんが学校にお願いし実現した。
オーストラリアのメルボルンにある日本人学校で祖母の被爆体験を語る咲和さん。祖母の口調までも咲和さん染み付いている。咲和さんは講話の最後に子どもたちに平和について伝えた。21歳のときに長崎で被爆し、今年100歳になった中村さん。毎月9日の午前11時2分に原爆の犠牲者を弔って平和を願う長崎の鐘を鳴らす取り組みに参加し続けている。1982年に被爆者として初めて国連で演説し日本の反核兵器運動をリードし2013年に82歳で亡くなった山口さんはアメリカやヨーロッパなど若い人が引き継いでくれることが希望だとこ当てた。
エンディング映像。