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オープニング映像が流れた。
ブラジリアンプラザは日本で働くブラジル人の憩いの場所として作られ多くの人々が集まる場所でもあった。しかし今は、そこには無数の扉があり、聖地と呼ばれた場所は変わり果てていた。群馬・大泉町では人口の1割がブラジル人であり、多くは自動車部品の工場などで働き町の経済を支えてきた。そんな町にブラジリアンプラザがあり、1階の店舗は全て閉店し、大泉町観光協会だけが残っていた。そしてその2階には 無数の扉が広がっていた。その一室で2カ月前から滞在して日本で職を探している54歳のブラジル人男性は毎日仕事があるか聞きに行っているがうまくいかない日が多いなどと明かした。プラザは月3万5000円で一時滞在施設として利用可能となっていた。施設の利用者はベトナム・ペルー・ブラジル・タイ・コンゴ・中国・日本と国籍は様々となっていた。工事現場の日雇いで食いつないでいる男性は10ほど前に安定した職を求めて来日し、家族とは離れて滞在していた。
休日になるとブラジリアンプラザに人々が集まっていた。ブラジルの伝統文化「カポエラ」を人々が楽しんでいた。30年前にブラジルから来日した68歳の男性が皆にカポエラを教えており、プラザが憩いの場であった頃には毎週通っていたなどと明かした。プラザは1996年にオープンし、入管法改正により多くの日系ブラジル人が出稼ぎで来日していた。その背景には人手不足などがあった。男性は妻とともに来日し、終夜問わず工場で働き、週末に妻と通い詰めたのがプラザであった。プラザでの交流で誕生した楽曲「デカセギながら/作詞作曲:ミキオ・イトウ」を紹介した。2002年のワールドカップ日韓大会ではプラザは大賑わいとなり、建物が揺れるほど喜び合っていた。しかし2008年、リーマンショックにより派遣切りとなり、2011年には東日本大震災でプラザ利用者は減少し続け、2014年に閉店した。プラザ施設の代表である林はブラジル人を多く雇っている人材派遣会社を経営し、プラザを2020年にコロナをきっかけに一時滞在施設へ改修した。施設の運営に関わっている日系ブラジル人の男性は警察・自治体・医者などから助けを求められ行く場のない困っているブラジル人を引き受けている。施設では現在20組が利用しているが中には長期滞在する人も出ており問題となっていた。
ブラジリアンプラザについて地域の人々は、いまでは何をしているのかは知らず、何度か消防車も出動するほどの騒ぎが今までにはあったなどと伝えた。シュラスコ店で働く日系ブラジル人で在日35年の女性は、昔のプラザを思い出すとさみしい気持ちになるなどと明かした。京都大学の原山教授はプラザに残された記録を使用して資料館を作ろうとしていた。
カポエラ教室を開いていた男性は週に6日、発達に遅れのある子どもが過ごす施設で働いており、2年前にプラザに滞在しており、ともに来日してきた妻を病で亡くしたことがきっかけであった。男性は妻からの最後の手紙を大切に保管しており、妻が背中を押してたからこそ前に進んでいくなどと伝えた。施設ではときたま皆で料理して食事をともにしている。職を探していた男性は新しい仕事が見つかり、今週には施設を出ていくのだと明かし、色んな人と出会い、友情も通り過ぎる人も、それぞれに全部意味があるのだと告げた。カポエラ教室を開いていた男性はこの30年で変わったことや変わらなかったことについて、プラザの建物は様変わりしたがこの場に集まってくる人々は今でも変わらないなどと伝えた。
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