- 出演者
- 寺門亜衣子 今田耕司 高嶋政宏
オープニング映像。
今回のゲストは俳優の高嶋政宏。
- キーワード
- 高嶋ちさ子
オープニング映像。
政宏の父の高島忠夫は神戸市出身。高嶋家の戸籍で辿れる最も古い先祖は御影で暮らしていた。高祖父の茂十郎は5か月間だけ町議会議員を勤めていた。曽祖父の茂一は土地を受け継ぎ、貸家を持ち家賃収入もあった。三男として祖父信夫が誕生。信夫は琵琶に熱中した。信夫の兄の正男の子孫が京都で暮らしていた。信夫の長男として忠生は昭和5年に誕生。
忠夫の母、はるは自由気ままな夫の分まで高嶋家を支えた。はるの曽祖父三平は江戸末期を生きた人物で明治の世になる7年前に亡くなった。北海道北斗市を訪れた。三平は村人のために粘土などの鉱物を釜や炉で高熱処理する窯業製品の開発にも取り組んだ。三平の長男は實堯で英語の勉強に励み、化学工業の原書に興味を持った。明治4年に女性のための英語塾を開いた。明治15年にはセメントの原料となる石灰石が豊富な愛知県田原市で事業の指揮を取った。實堯の孫のはるは明治41年に誕生し昭和3年に信夫と結婚。4人の子供を授かった。
忠夫は旧制神戸一中に進学。勤労奉仕として高射砲の陣地作りに駆り出され軍需工場でも働かされた。空襲で自宅が全焼。終戦後は焼け野原となりバラック小屋での生活を余儀なくされた。戦後すぐに音楽に夢中になった。名門中学を中退し町で演奏活動をし1年後に高校に編入して大学に進んだ。昭和26年に新東宝スターレット第1期生に合格。映画俳優としての人生をスタートさせた。忠夫の魅力は明るさと歌。信夫は忠夫の活躍に大喜びし忠夫のブロマイドを配っていたという。
政宏の母、寿美花代は現在92歳で静かに老後を過ごしている。結婚前の本名は松平節子。曽祖父の莞爾、6代前は松平佐右衛門勝秀。勝秀の先祖は安土桃山時代に生きた勝俊。勝俊は徳川家康の異父兄弟で母は於大の方。江戸時代に入ると勝俊の子孫たちは将軍の世話や警護をする任に就く。莞爾は徳川慶喜の護衛をしていた。荒れ地を開墾し田畑を作ったが困窮し宮内省に出仕。政宏の祖父八郎は莞爾の五男として生まれた。大正10年につゆと結婚し節子が誕生した。節子の兄は戦死している。
節子は16歳で宝塚歌劇団に入団。芸名を寿美花代とした。昭和38年に忠夫と結婚し結婚の翌年に長年の道夫が誕生。しかし道夫は家に出入りしていた未成年の女性によって殺害された。昭和40年に政宏、昭和41年に政伸が誕生した。
政宏は映画のオーディションに合格しデビュー。忠夫は息子の夢を全力で応援した。政伸は大学時代に映画監督を目指し借金を作ったこともあったという。
忠夫は68歳でうつ病になり仕事を全て降板した。はるは100歳で亡くなり家族は忠夫には知らせなかった。花代は夫を励まし続けた。忠夫は2019年に88歳で死去。忠夫の息子たちは現在も第一線で活躍し続けている。
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