忠夫の母、はるは自由気ままな夫の分まで高嶋家を支えた。はるの曽祖父三平は江戸末期を生きた人物で明治の世になる7年前に亡くなった。北海道北斗市を訪れた。三平は村人のために粘土などの鉱物を釜や炉で高熱処理する窯業製品の開発にも取り組んだ。三平の長男は實堯で英語の勉強に励み、化学工業の原書に興味を持った。明治4年に女性のための英語塾を開いた。明治15年にはセメントの原料となる石灰石が豊富な愛知県田原市で事業の指揮を取った。實堯の孫のはるは明治41年に誕生し昭和3年に信夫と結婚。4人の子供を授かった。
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