- 出演者
- 塚原愛 今田耕司 阿部一二三 阿部詩
オープニング映像。
オープニングの挨拶。ゲストが登場した。
兵庫・神戸市兵庫区で阿部兄妹は生まれ育った。2人の父・浩二は消防士として働いている。阿部家の先祖を辿ると徳島・神山町(旧神領村)にルーツがあった。阿部兄妹の曽祖父にあたる敏一。生家の住所を訪ねると敏一の兄の孫が住んでいた。敏一は豊かな生活を夢見て神戸でテイラーを志す。外国文化の玄関口であり、居留地としても栄えた神戸。いち早く洋服作りの技術が発展していた。敏一は26歳の頃に独立。阿部洋服店を営んだ。昭和11年に長男・稔が誕生。後の阿部兄妹の祖父。稔は5歳の時、友だちと遊んでいて竹の棒が右目に刺さって失明。現在は87歳。少年時代はからかわれることもあったそう。高校は進学校へ進み、見事、神戸商科大学に入学。卒業後は会計事務所で働き、昭和40年に千代子と結婚。昭和45年に後の阿部兄妹の父となる次男・浩二が誕生した。
阿部兄妹の父・浩二は、小学1年生の時、兄・初郎と水泳教室に通い始める。浩二と水泳教室が一緒だった男性いわく、浩二は身体能力が高かったそう。浩二は全国ジュニアオリンピックに出場している。
VTRを見た阿部詩は「どう生きてきたかっていうのを知らなかったので感動しました」などとコメントした。
阿部兄妹の母・愛のルーツは奄美大島にある。明治時代、龍郷町(旧戸口村)に谷村家があった。阿部兄妹の6代前・谷嶺は西郷隆盛のお世話をしていたこともあるという。大島紬の基礎を築いた昇庸実の姉・ミチカナが谷村家に嫁いだのをきっかけに谷村家は大島紬を生産。大島紬は奄美大島で誕生した絹織物。世界三大織物の一つともいわれている。
奄美大島で大島紬を生産する谷村家で生まれ育った阿部兄妹の曽祖父・谷二。次男だったこともあり、家業は継がず、大阪へ出て大工などの仕事をした。その四男として昭和21年に生まれたのが榮。後の阿部兄妹の祖父。榮はスポーツ万能だったそう。ある日、友人に誘われてドライブへ。そこで出会ったのが後に妻となる瀬端香。2人は昭和44年に結婚。昭和47年には、後の阿部兄妹の母となる次女・愛が誕生する。
阿部兄妹の母・愛は大阪社会体育専門学校に入学。その後、フィットネスクラブに就職した。
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- 大阪社会体育専門学校梅田(大阪)
VTRを見た阿部兄妹は「何でも一番になれ」と言われて育ったと振り返った。
阿部浩二と谷村愛。交際を始めて1年半ほど経った頃、阪神・淡路大震災に見舞われた。浩二は消防士として出動した。家族は無事だったが阿部家は全焼。大阪在住の愛と会えたのは震災から1か月ほど経ってからのことだった。震災から4か月後、2人は結婚。そして、平成9年に次男・一二三、平成12年に長女・詩が誕生。
この頃、父・浩二は消防隊員が救助技術を競う大会に力を注いでいた。負けん気に火がついた浩二。夢中でトレーニングに励み、消防技術の全国大会で入賞した。さらに、競泳でもタイムを伸ばし、県大会で好成績を残した。平成13年、31歳にして初めて国体への出場を決めた。
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VTRを見た阿部詩は「父の後ろ向いている姿とかマイナスな部分を見たことがない」などとコメントした。
阿部一二三は人一倍やんちゃな少年だった。保育園の先生に「パワーが有り余っているから何かさせた方がいい」と勧められ、柔道を習い始めた。一二三を指導した少年柔道クラブの監督は「最初はどこにでもいる普通の子だった」と話す。試合に負けては泣いてばかりの一二三。そんな我が子を見た負けず嫌いの父は一二三と一緒にトレーニングを始めることにした。詩も5歳から柔道を始める。最初は楽しんでいただけ。父と兄のトレーニングの邪魔をしに行っていたという。
母方のルーツがある奄美大島。そこは土俵が多い島としても知られている。大正9年から昭和初期までは大島角力協会主催の相撲大会が開催されていた。阿部兄妹の祖先・谷村昌信は大関に上り詰めた。
パリオリンピックで連覇という偉業に挑む阿部兄妹。父・浩二はエールを贈るつもりで自らに課した10kmのランニングを続け、母・愛は東京で我が子の生活をサポートしている。
VTRを見た阿部一二三は「2人がいないと僕らは生まれてない」などとコメントした。
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