- 出演者
- 寺門亜衣子 今田耕司 水森かおり
オープニング映像。ゲストは水森かおり。
- キーワード
- 鳥取砂丘
最初は水森かおりの父方のルーツを探る。父は84歳で亡くなっているという。父方の古い戸籍を見ると曽祖父に中駒吉という人がいる。駒吉の孫の妻である中眞喜子さんや中勉さん、中敏寿らに中家のルーツについて話を聞いたりした。他にも東京都立中央図書館などで中家のルーツについて探った。
明治36年に中駒吉から水森かおりの祖父の福太郎が誕生した。中駒吉の米穀店は順調だったが、明治末期になって店が潰れたという。潰れた理由は泥棒に入られたからだという。その泥棒は西川寅吉という男で、当時人気でプロマイドも出されたりしたという。ただ実は小豆相場で大損したということもわかったという。
中家はその後、東京都月島に移り住んで、祖父の中福太郎は鉄工所などでひたすら働いたという。スタジオでは水森かおりがVTRを見て「面白い」と感想を語った。
父方の祖母のルーツの蓮實家について探る。父方の祖母の住所は栃木県塩谷町ということで親戚の蓮實壽一さんに話を聞いたりした。他にも日光市歴史民俗資料館などでも手がかりを探った。そこで祖母の先祖が当時は売木人をやっていたことがわかった。
息子の祖全と、その息子の聖林は出家して僧侶になっている。ただ曽祖父の聖林は38歳の若さで亡くなっているという。そのため妻の蓮實ミサヲが急遽、住職を務めるようになったという。娘の晃子は昭和8年に大出家の幼女になったという。
晃子は福太郎と結婚して、大出性を名乗るようになったという。そして東京昭和町に移り住んで、福太郎は町工場を経営するようになったという。そして昭和11年に長男が誕生した。ただ戦争が起こり、工場は焼け落ちてしまったという。終戦後に福太郎は工場を一から再開し、長男の勝也は定時制の高校に通いながら父を手伝ったという。そんな父は歌手になりたいという気持ちがあったが、傾いた家業を再建することに力を注いだという。
水森かおりの母の大出千代子さんの趣味はカラオケ教室だという。先生は水森かおりの姉がやっているという。大出千代子は昭和13年に生まれて、活発で明るい子に成長したという。sんな千代子に勝也が一目惚れしたのが出会いだという。そして2人は結婚し事業を拡大していった。そして昭和48年に水森かおりが誕生した。
水森かおりの幼い頃の歌声は、勝也に諦めかけた夢を思い出させたのかもしれない。水森かおりはのど自慢に出演したりして賞を受賞していった。大学生になった水森かおりはプロの歌手になろうとし、スカウトされて平成7年に歌手デビューした。
水森かおりは歌手になったがヒットには恵まれずに苦労したという。そんな時に勝也は「どんなときでも100%の力で歌え」と励まされたという。そして「鳥取砂丘」がヒットして紅白歌合戦に出場することができたという。そして勝也は84歳で亡くなったという。勝也は晩年は水森かおりのご当地ソング巡りを楽しみにしていたという。
エンディングでは水森かおりが「これから歌っていくことの意味を教えていただいた気がする」と語った。
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