- 出演者
- タモリ 林田理沙
今回の旅のお題は関門海峡はなぜ関門?。田中洋一氏が世界の海峡と関門海峡を比べて説明した。マレー半島とスマトラ島の間にあるマラッカ海峡は最狭幅37キロで関門海峡は0.7キロだが一日500隻の船が通っているなどと説明した。韓国や中国の船が東京や大阪に向かう際、関門海峡を抜けると安全に航海することでき、昔は空海などが利用した国際航路と言われる。タモリらは船に乗り関門海峡を渡ることになった。
オープニング映像。
関門海峡は狭いため大型船は水の抵抗を受けやすく衝突の恐れがあり、潮の流れる速さが速くなるため難所と言われる。狭く潮の流れが速い関門海峡には船が安全に通るための工夫があるという。
関門海峡には船を正しい航路に誘導するための導灯と呼ばれる標識のようなものがあり、高さの違う導灯が重なって見えるように進むとそれが安全な航路になるという。導灯は幅の狭い5ヶ所に設置されていて日本で一番導灯が多い海峡として知られている。関門海峡の水深は12~13メートルと浅く、通れない船があるため海を深くするために明治時代から現在まで海底の土砂をすくい上げる浚渫作業が続けられている。田中氏は関門海峡には昔「死の瀬」と呼ばれる危険な場所があると説明し、江戸時代にシーボルトが描かせた「死の瀬」の絵を紹介した。タモリらは関門海峡の成り立ちを探ることになった。
タモリらは海峡の成り立ちを探るため火の山へ向かった。地質に詳しい高橋雅紀氏は大文字山と比叡山を形づくった岩で、マグマの熱で周りの泥岩が固く変化したホルンフェルスがあることを紹介し、関門海峡はもともとは一つの山が削られて窪んだ地形になったと説明した。
細長くて幅が狭い海峡が出来た理由を探るため砂浜に向かったタモリらは花崗岩を発見した。高橋氏は細長く分布した花崗岩が風化して砂状になり低くなったところに海水が流れ込み幅が狭く細長い海峡ができたと説明した。風化した花崗岩が積もったため海峡が浅くなり今でも浚渫作業が行われている。
タモリらは唐戸市場に向かうと、田中氏は伊藤博文がフグの取り扱いを山口県に限り許可したと説明した。下関は山陽道の終点となる町で陸路と海路が交わる場所として発展した。タモリらは下関ならではの関門を知るために神社へ向かった。
田中氏は下関の町にあった関門は関所だと話した。田中氏は関所では危険な荷物はないかなど関門海峡にやってくる船をチェックしていたと話し、鎖国により国内の船がたくさん通るようになり、港として発展した関門海峡では人の往来を把握しないといけないため下関に関所が置かれたと説明した。昔は「下関海峡」と呼ばれていたが「関門海峡」になった理由を知るために門司に向かうことになった。
エンディング映像。
次回ブラタモリの番組宣伝。