- 出演者
- タモリ 野口葵衣
タモリらは福岡・北九州市を訪れた。今回の旅のお題は「合体メガタウン 北九州市誕生の秘密とは?」。北九州市という名前は公募だったといい、タモリは「応募しようと思ったけどアイデアがなかった」などと話した。北九州市は明治から昭和にかけて発展した5つの都市が合併して生まれた。
オープニング映像。
- キーワード
- 北九州市(福岡)
タモリらは北九州市誕生の秘密を探った。まずは小倉がどんな町なのか、小倉城から探ることに。城の西側を歩くと幾重にも掘を巡らせ守りを固めていた形跡があった。守りを強く意識した小倉城。実は城下町にも守りの工夫があった。碁盤の目のように造られた東側の城下町。地図ではまっすぐに描かれている東西の道だが、実際には少し曲がっていた。理由は見通しを悪くするため。これは小倉城を建てた細川忠興の碁盤の目も大切にしながら守りも固めたいとした葛藤の表れだと考えられている。小倉の常盤橋はかつて交通の要衝だった。九州の玄関口とされていた小倉は強固なまでに守りを固める必要があった。また、かつては筑前と豊前の国境があり、豊前の小倉城に対して、筑前には国境に沿って6つの城が並んでいた。小倉城から国境までの距離はわずか2kmほどしかなかったため、守りを固くする必要があったのだという。
タモリらは北九州市誕生の秘密を探った。続いて訪れたのは北九州市の隣の水巻町。ここでは筑前黒田藩によって約500mにわたって山を切り倒す大土木工事が行われていた。江戸時代、遠賀川流域は洪水が耐えなかったために人工川・遠賀堀川をつくった。川の水は遠賀堀川や洞海湾周辺の農業用水に使われ、筑豊炭田で採れた石炭などを若松まで運ぶ水運としての役目なども担っていた。それが、若松が日本一の石炭積み出し港として繁栄するきっかけとなった。
エンディング映像。
次回予告が流れた。