タモリらは北九州市誕生の秘密を探った。続いて訪れたのは北九州市の隣の水巻町。ここでは筑前黒田藩によって約500mにわたって山を切り倒す大土木工事が行われていた。江戸時代、遠賀川流域は洪水が耐えなかったために人工川・遠賀堀川をつくった。川の水は遠賀堀川や洞海湾周辺の農業用水に使われ、筑豊炭田で採れた石炭などを若松まで運ぶ水運としての役目なども担っていた。それが、若松が日本一の石炭積み出し港として繁栄するきっかけとなった。
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