- 出演者
- タモリ
今回の旅の舞台は名古屋・大須。元名古屋市博物館学芸員の松村さんが案内する。大須は主に8つの商店街でできており、町のシンボル大須観音がある。一行は大須観音を目指し参道を歩いた。大須は年間約1500万人が訪れるそうで、土日にはちんどん屋を見ることができる。旅のテーマは「家康が生んだ大須。なぜ“元気すぎる商店街”に?」。大須は徳川家康と深い関わりのある町。
オープニング映像。
一行は商店街を歩き大須観音を訪問。名古屋のお城と城下町は家康が作り、家康が作った寺町が大須の町のベースになっている。それまで尾張の中心は清須だったが、家康が大規模な引っ越しを行い約6万人とインフラを名古屋の町にもってきて、その時に寺も一緒に移転した。その理由は清須城の周りは低湿地帯で、関ヶ原の戦いの10年後だったため豊臣勢力の脅威に警戒が必要な時期だったため。ただ、大須観音は愛知県ではなくもともとは岐阜県の羽島にあり、大須が所有する貴重な書物を水害から守るため移転させたと言われている。大須観音が持つ書物の中でも有名な国宝が古事記の写本である。一行は古事記の写本と弘法大師の仏教書・秘蔵宝鑰を見せてもらった。
大須の寺町は江戸時代の中頃になると一気に大勢の人でにぎわう町になった。一行は大須観音通を歩き大須演芸場を訪問。大須演芸場は若き日の明石家さんまやビートたけしなども出演した演芸場。タモリは舞台に立ち北京放送局を披露した。江戸時代中期、大須演芸場は芝居小屋で芝居目当てに多くの人で賑わっており、かつてこの周辺の寺の境内にはたくさんの芝居小屋があったそう。こうした芝居ブームの仕掛け人が尾張藩主の徳川宗春で宗春は家康のひ孫の子供だった。宗春は徳川吉宗が質素倹約を強いた享保の改革に反抗するように幕府の方針に反して経済政策として芝居の興行をおおいに奨励したという。
ブラタモリの次回予告。
エンディング映像。
ブラタモリの次回予告。
