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マグロ漁師・菊池武一さん(64)に密着。菊池さんは海の観察を毎朝の日課としている。マグロ漁は6月に解禁されていたが、取材を始めた9月中旬、大間沖にまだマグロが入ってきていなかった。空振りを恐れ、ほとんどの船が漁を控えていた。そんな中、菊池さんが動いた。目指すは大間の北120km。燃料代は馬鹿にならないが獲る自信があるという。行うのは延縄漁。ポイントを見計らい、息子の大貴さんが浮きを投入。生き餌のサバに針をつけ、マグロの通り道を予測しながら離していく。そして、マグロが食いつくのを待つ。菊池さんの読みが当たり、推定130キロのマグロを釣れた。漁師なら皆が納得のマグロだが、菊池さんはリリースした。水産資源保護のため、漁師には今、漁獲枠が決められている。菊池さんは大物しか揚げないと決めていた。菊池さんは140キロ超えの大物を釣り上げて満足した様子。その後も面白いように大物が次々と揚がった。
マグロ漁師・菊池武一さん(64)に密着。漁に出ないこの日、菊池さんは疑似餌の改良を行った。菊池さんは仲間から“大間のエジソン”と呼ばれている。マグロ漁に革命を起こしてきたからだ。最たるものがマグロ釣り機。マグロが逃げようとすれば糸を出して身を焼けさせない。おとなしくなれば一気に巻き上げる優れもの。今や、大間のマグロ漁師たちの標準装備となっている。疑似餌も企業と共同開発している。本来、こうしたものは門外不出。しかし、菊池さんは惜しげもなく教える。
マグロ漁師・菊池武一さん(64)に密着。11月、大間は記録的な不漁に見舞われていた。菊池さんから連絡があったのは12月。ようやくマグロが大間沖に姿を見せつつあるという。高値を狙うには菊池さんが最も得意とする一本釣り。すぐさま水揚げでき、鮮度を保てるためだ。菊池さんは特製の疑似餌を用意していた。1日目は小さいマグロしか食いつかなかったが、2日目には148キロの大物を釣り上げた。他の漁師はさっぱりだったが、菊池さん一人大当たり。その後も大物を2本揚げた。
マグロ漁師・菊池武一さん(64)に密着。菊池さんは、1961年、4人兄弟の長男として大間に生まれた。父は地元でも有名な腕利きのマグロ漁師。巨大なマグロを腕一本で釣り上げていた。父のようになりたい。11歳にして大物を釣り上げた。しかし、15歳のとき、父が病に倒れ、余命宣告を受ける。突然、一家を背負うことになった菊池さんは、まだ幼い3人の弟と母を支えるため、遠洋漁業の乗組員として働くことになった。菊池さんは遮二無二働いて仕送りを続けた。父との別れも叶わなかった。大間に戻ったのは24歳のとき。数千万円の借金をして小さな船をこしらえた。しかし、津軽海峡を貫く青函トンネルの工事とともにマグロが穫れなくなってしまった。やむなくイカなどを獲って生計を立てたが、小さな船では限界があった。一歩でも先んじるために、菊池さんは海の地形から潮の流れまで頭に叩き込んだ。大間にマグロが戻ってきた、そう聞いたときには35歳を超えていた。菊池さんは誰に教わるでもなく、自分自身で海を学んだ。
マグロ漁師・菊池武一さん(64)に密着。12月下旬、一年で最も痺れる季節が近づいていた。正月行われる豊洲の初競り。一番マグロには億を超える値がつく。マグロ漁師たちの夢。弟たちはその栄誉を手にしてきた。しかし、菊池さんはいまだになし。12月30日、一番マグロをかけた戦いが幕を開けた。この日から1週間で穫れたマグロのみが初競りの対象となる。菊池さんが選んだのは、より確率の高い延縄漁。菊池さんは150キロを優に超える大物を釣り上げた。しかし、一番マグロを狙うには弱いという。その後も大物を釣り上げるが、200キロには届かず。初競りにかけられたマグロは110本。245キロのマグロが史上最高となる5億円を記録し一番マグロに。二番マグロを揚げたのは菊池さんの教え子だったという。
菊池さんにとってプロフェッショナルとは「ドキドキ」。
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