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メジャーで次々と記録を塗り替える大谷翔平。多くの人に夢と希望を与えてきた。しかしその一方で、今年6月にミスタープロ野球・長嶋茂雄さんが亡くなるという悲しいニュースもあった。。かつて、日本の野球といえば東京六大学野球で、黄金期を支えたのが長嶋さんだった。立教大学OBの徳光和夫さんはその目撃者だった。ミスタープロ野球の原点・立教大学に迫る。また、明治大学の数々のプロを輩出してきた。その礎を築いたのは伝説の鬼監督だった。東京六大学野球100周年の節目ということで、歴史を振り返る。
オープニング映像。
立教大学池袋キャンパスの学生食堂には長嶋が愛したメニューがいまも残っている。立教大学OB・徳光和夫の人生は長嶋茂雄が変えた。50年以上味付けを変えていない伝統の一品、「カツ丼」。大学時代の長嶋を振り返る。
昭和29年、立教大学に入学した長嶋茂雄。当時大人気の六大学野球で活躍。5歳年下の徳光は長嶋に憧れて立教に入る。長嶋茂雄大学4年の春、当時の通算本塁打記録、7本に並ぶが足踏み。新記録への1本が出ないまま大学最後の試合へ。5回ウラ第2打席、六大学新記録、伝説のHR。並木道から昭和歌謡のヒット曲も生まれた。歌手・灰田勝彦の「鈴懸の径」。礼拝堂は長嶋が「最も思い出深い」と語った場所。当時立教野球部では毎週水曜日に訪れ祈りを捧げるのが習慣だった。立教学院史資料センターにあるお宝の数々。
東京六大学野球100年、その起源はライバル2校の対抗戦。明治36年、早稲田野球部が慶応野球部に挑戦状を送り始まった早慶戦。人気がすごすぎて応援が過激化。3年で中止に。大正時代になり明治、法政、立教がリーグに参加。大正14年、東大も加入し東京六大学野球リーグが発足。早慶戦も復活。野球ファンが急増する。1926年、明治神宮野球場が竣工。その歴史の先に大スターが生まれた。
スターの輝きはその影にいた恩師のおかげでもあった。2年生の秋、長嶋茂雄は覚醒。数々の記録を塗り替え、立教を初の連覇に導いた。
立教大学新座キャンパス。野球部伝統の礼拝はいまも続いている。チャペルで月に1度練習前の恒例行事。伝統の野球部には変わった言い回しも。トレーニングウェアは「シャドー着」など。練習は5部制。選手が授業などのスケジュールに合わせて自らが選択するスタイル。木村監督はほぼ全ての時間帯に参加。選手1人1人と向き合う。
立教創設150周年記念、長嶋茂雄顕彰モニュメント、立教の後輩たちに長嶋茂雄が残したメッセージがある。自ら考える、母校の力を長嶋は体現し続けた。
ことしのドラフト、詰めかけた報道陣の前で3人の選手が1位と2位に指名された明治大学。前人未到、16年連続ドラフト指名の記録を更新した。明治の自慢は輩出したプロ野球選手が最も多い大学ということ。巨人のV9戦士、高田繁や巨人と西武で中継ぎに抑えに大車輪、鹿取義隆、先発でも抑えでも活躍、全球団から勝利をあげた武田一浩、メジャーでも実績を残した中日の元エース、川上憲伸も明治大学の卒業生。東京・調布市に往年の名選手を育てた球場があった。敷地の一角に星野仙一の手形が。広澤克実は40年前のドラフト1位。ヤクルトでは野村克也監督のもと長く4番を務めた。2度打点王に輝き、リーグ優勝も2度経験。語り継がれる数々の逸話。その中心には多くの学生をプロに導いた伝説の鬼監督がいる。
島岡吉郎は明治野球部母校の力の源、応援団出身の異色の監督。野球部を率いること37年、計15回を数える東京六大学優勝は監督としての最多記録。部員を震え上がらせた熱血指導は語り草になっている。当時野球部員が暮らしていた明和寮。島岡監督も寮に住み込み学生たちと寝食をともにした。
六大学屈指の強打者だった広澤。4年生のときには史上2人目の春秋連続首位打者に輝いた。入部当初は練習の厳しさについていけず、やめたいと思ったことも数しれず。ある日チャンスが巡ってくる。
控えだった広澤にある日チャンスが。部員たちの人生を見る、それが島岡吉郎だった。4年生の就職のためには自ら頭を下げて企業を訪ねまわった。
現在の練習場、内海・島岡ボールパーク(東京都府中市)を広澤が訪ねた。現監督の戸塚俊美、松岡功祐コーチも島岡御大の薫陶を受けた。御大が重んじた明治野球部母校の力「人間力」。学生野球は教育の一環、プレーを通じて社会で通用する人間に成長してほしいと望んでいた。母校の力はいまも。ことしの六大学秋季リーグで完全優勝を果たした明治。強さの秘密を聞かれた監督は「私生活。寮生活をしっかりルールを守って。もう一回見直してこの秋戦いました。人間力野球です」と語った。
兄は慶應、弟は早稲田の野球部出身、2人が一緒に始めた挑戦とは。慶應野球部でレギュラーとして活躍した兄の鈴木裕司。現在は飲料メーカーに勤務。休日には別の顔が。
慶應と早稲田のOB、鈴木兄弟が始めた挑戦。休日、裕司を訪ねた。弟・健介は広告代理店勤務。2人は去年グローブ作りを始めた。ブランド名は「YK BROTHERS」。裕司は慶應義塾高校から慶應大学に進み、リーグ戦優勝に貢献。健介は早稲田実業から早稲田大学へ。投手として神宮のマウンドで活躍した。手探りで進めるグローブ作り。野球が大好きな父親への還暦祝いから始まった。
去年創業したグローブブランド「YK BROTHERS」。購入者に「野球ノート」を一緒に渡す。野球も人生も考えることが最初の一歩。YK BROTHERSのグローブはネット販売が中心。唯一、サンデースポーツ(東京・恵比寿)で店頭販売を行っている。この日はレザーの加工業者と新製品の打ち合わせ。人の輪は少しずつ広がっている。仲間を信じて、現場を重んじる、それが2人が大切にしていること。
大学野球の聖地、明治神宮野球場。数々の名勝負を生んだ舞台は未来に向けて生まれ変わろうとしている。舞台は変わっても受け継がれる伝統がある。それぞれの母校の力とともに。新たな物語は紡がれていく。
