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オープニング映像。大谷翔平をHEROに変えた7つの特別な試合。
ロサンゼルス・ドジャースはワールドシリーズ制覇7回を誇るメジャー屈指の名門。10球団以上から届いたオファーの中、大谷が選んだのはドジャースだった。高校時代から目指すのは世界一。このときからメジャーリーグを目指す理由は明確だった。ドジャースのスカウトも熱心に球場に足を運んでいて、当時から注目していたという。高校1年のときの目標設定シートに「ドジャース入団」と書いていた。2024年2月27日、ドジャースのユニフォームを着て初めての試合に臨んだ。去年の右肘手術から177日ぶりの実戦だった。大谷はドジャースデビュー戦で初HRを放った。シーズンが開幕すると公式戦のデビュー戦で初ヒット。本拠地開幕戦でも初ヒット。
ともにWBCで世界一を成し遂げた大谷翔平と山本由伸はメジャーでもチームメイトになる道を選んだ。山本は6月までに5勝をあげる活躍。先発の柱としてチームに欠かせない存在となっていった。しかし山本は右肩の筋肉を痛めて故障者リスト入りした。ドジャースはエースのカーショーを始め投手陣に故障者が続出していた。チームに動揺が走る中迎えた試合でムーキー・ベッツの左手に160キロのぼーるが直撃した。ベッツ・大谷のコンビはチームの生命線だ。ベッツと山本が同じ日に離脱、ドジャースは絶体絶命の状況に突き落とされた。この日、大谷は今季初となる2打席連続HRを放った。2か月後のベッツの復帰戦、大谷とベッツはアベックHR。
オールスターゲームのレッドカーペットショーで大谷翔平は裏地に愛犬・デコピンの刺繍を施して登場。ファンによるサイン争奪戦も起きた。全選手が登場する前日会見でも全メディアが場所取り合戦をした。ことしホームラン王を争ったオズナも大谷の虜だ。アーロン・ジャッジは試合の途中に大谷についてインタビューを受けた。その直後にホームランを放った。オールスターゲームで大谷は投手として勝利、打者としてはホームランという史上初の偉業を成し遂げた。
8月5日、大谷翔平は34号ホームランを放った。このホームランには特別な思いが込められていた。ホームランの2週間前、フレディ・フリーマンが急きょ離脱した。フリーマンは大谷、ベッツと並ぶ「MVPトリオ」の1人だ。フリーマンは子煩悩で、大谷も子どもたちが大好き。フリーマンが離脱した理由は三男マックスくんがギラン・バレー症候群を患ったこと。フリーマンの離脱によりチームは危機的状況。この時期はフリーマン、ベッツが揃って不在だった。フリーマンとマックスくんを勇気づけるホームランだった。ホームランから1週間後、マックスくんが回復した。その翌日、フリーマンがチームに帰ってきた。
大谷翔平の盟友フレディ・フリーマン。難病に苦しんでいた息子マックスくんが回復した翌日、フリーマンが帰ってきた。チームメイトはフリーマンの名前と背番号が入ったTシャツを着て彼の復帰を祝った。チーム全員がマックスくんにエールを送っていた。大谷はフリーマンの復帰を祝うホームランを放った。大谷だけは1か月「マックス・ストロングTシャツ」着ていた。ホームランから約1か月、マックスくんは球場に足を運べるようになった。
8月23日、大谷はメジャー史上6人目となる「40本塁打40盗塁」を達成した。試合後、大谷は珍しく本音を語った。7月まで絶好調だった大谷だが、3割1分あった打率は2割9分まで急降下した。大谷は何度も動画を見返したうえでコーチに助言を求めスランプの出口を見出してきたという。バッティング練習にクリケットのバットを取り入れたり、打席に入る時のルーティーンも変えた。バットでホームベースとの距離を測り打席での立ち位置を確認していた。さらに、バットを内側から出す意識づけをハーフスイングで確認する動きを取り入れた。ベッツのルーティーンを参考にした。助けを求めることのできるチームメイトの存在が大谷を救うことになる。8月23日、9回ウラ2アウト満塁で打席に立った大谷はサヨナラ満塁ホームランで「40-40」を達成した。大谷は翌日もホームラン。
8月28日、大谷翔平のボブルヘッド人形の効果からか、この日の観客数はシーズン最多を記録した。5月のボブルヘッドデーには試合前に心臓病と闘うアルバートくんを試合に招待し、サプライズで登場した。サプライズで始球式も企画した。その翌日にはロサンゼルス市が5月17日を背番号17にちなみ「大谷翔平の日」に制定した。その日の試合で大谷は13号HR。ことし2度目のボブルヘッドデーの始球式に登場したのは愛犬・デコピン。試合では「42本塁打42盗塁」を達成した。
12年前の9月19日、大谷はプロ志望届を提出。2018年、海を渡った大谷だったが1年目に右ひじのトミー・ジョン手術、2年目には左ひざにもメスを入れた。二刀流の挑戦に成功を疑う声、限界を囁く声が溢れた。イチローは二刀流の可能性を決して疑わなかった。2021年、9勝46本塁打でMVPを獲得した。2022年にはメジャー史上初と鳴る投打両方で規定に到達した。2023年9月19日、2度目のトミー・ジョン手術となった。ことしドジャースに入団。打者に専念する大谷は走塁を強化した。手術からちょうど1年、50-50を達成した。
大谷が12年前に書いた「世界一の選手に」という言葉はことし、現実となった。