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史上初の韓国での開幕戦で大谷とダルビッシュが初対決となった。ドジャーブルーに身を包んでの初陣で大谷は気合が入ったボールで苦しい打席だったが1本ヒットが出て良かったなどと話した。ここに至るまでの15年間に語られてこなかった物語をきょう紐解く。
時代を鮮やかに塗り替えるのが大谷の魅力で、WBCではマウンド上から世界一で締めくくり、メジャー初完封の日には2打席連続でホームランを放った。
右肘の手術から5カ月が経過して迎えたキャンプ。今年は二刀流を封印し打者専念となるが、大谷はまず打撃のことだけを考えてケガをせずにシーズンを乗り切れるようコンディショニングを整えたいなどと話した。移籍したての新チームで自分が役立つ術として、大谷はすでに走力という武器に目を着けていた。キャンプ4日目、半年ぶりの屋外フリー打撃を行った大谷だが順調な調整ぶりを打球音が雄弁に物語った。
ドジャースの主軸であるフリーマンと大谷との絆は一昨年のオールスター戦にまで遡るそうで、2人を結びつけたキュービッドはフリーマンの息子のチャーリーくんだったとのこと。
オープン戦が始まったのは2月の終わり。ドジャース移籍後初の実践となる試合で大谷はホームランを放った。大谷の結婚発表は先月末にInstagramで行われ、会見ではマスコミがうるさいので発表だけして野球に集中したかったなどと話した。
ドジャース大谷はパドレスとの開幕戦に出場。
ドジャース大谷翔平は入団会見にて、「人」「出会い」を尊重する価値観を披露。ドジャース入団は若い頃から志していたという。
岩手県奥州市生まれの大谷翔平。野球を始めたのは小学2年生。幼馴染に誘われてチームに入ったという。今とそっくりの躍動感ある投球フォームは当時から。バッテリーを組んでいたのは、誘った立場である佐々木さん。その佐々木さんの勧めで花巻東高校へ入学。
二村健次さん。ドジャースの通訳を長く務めると同時に、日本人のスカウト業務にも関与。大谷翔平に興味を示したのは、MLBが菊池雄星の獲得に断念したころ。球団内にはアジアの高校野球選手を調べる機関が存在。きっかけは元オーナー補佐のアイク生原さん。巨人のアメリカキャンプ実現にも関与。95年には野茂英雄のドジャース入団が実現。その後も数々の日本人選手の入団が実現。
ドジャースで日本担当スカウトを務めた小島圭市。日本球界で8年プレーした後に渡米も、入団には至らず引退。01年からはドジャースのスカウトに。大谷翔平が高校に入学した当初から関心を寄せていたという。
メジャーではなく日本ハムから指名を受けた大谷翔平。説得の決め手となったのは、メジャーで活躍するためのロードマップ。「二刀流挑戦」もその1つ。二刀流の才能は日本球界で開花。
メジャー表明するもNPB入りした大谷翔平。プロ2年目の取材では「今の時点ではNPBに入って正解だった そう信じたい」など話していた。23年には実際にドジャース入団。その背景にあるのは、ドジャースと日本の架け橋となってきたアイク生原などの功績。
本拠地開幕戦で起きた奇跡
本拠地開幕戦に出場したドジャース大谷。その一歩が、その一打が、新たな歴史を紡いでいく。