- 出演者
- 日村勇紀(バナナマン) 設楽統(バナナマン) 小室瑛莉子 風間俊介 大沢あかね
オープニング映像。
近所で頼りにされている元警察官と穏やかな女性はごく普通の近所付き合いをしていたが些細なすれ違いで日本中を震撼させる事態となった。2010年頃。小川が都内に引っ越してきた。彼女の家はコの字型に並ぶ路地裏の一角だった。趣味の園芸を通じてすぐに近所の人と打ち解けた。武田は元警察官で頼りにされている存在だった良好な関係を築き穏やかな日々を過ごしていたが、小川は近所の野良猫に世話を焼くようになったがガーデニングの量が増え路地に少しはみ出していたが邪魔ではなかったので近所の人は注意せずにいた。しかし武田は注意した。すると小川は武田の家の枝がはみ出していると話した。その後武田は枝を整理した。しかし小川宅の鉢植えは改善されていないように見え、これが火種となった。注意の際に近寄ると武田は誤って鉢植えを倒してしまった。しかし謝るタイミングを見失った。小川はそれがショックで生活が乱れるようになっていった。ゴミに虫が湧かないように武田は殺虫剤をまいていたが、小川はネコへの殺虫剤の被害を考えて争いとなった。引っ越しから約2年、武田は真剣を振っていた。
武田は真剣を振って威嚇するようになった。そんな中、小川の家のゴミ袋はさらに増加していき、武田は殺虫剤を巻いていると小川にまた押し倒された。その夜、武田の妻が主人に謝ってくださいと小川の宅にやってきた。小川が武田のことを殺虫剤を撒くと110番された。
小川は武田に日本刀で斬られた。小川は病院に搬送されたが死亡が確認され、武田は小川の家に立てこもったまま出てこなかった。日本刀を所持していたのでSATも駆けつけた。突入すると武田は自殺しているのが発見された。
- キーワード
- 特殊急襲部隊
老人ホームの准看護師の女性は入居者の健康面の相談役としても周囲からの信頼も厚かった。翌日、英子が倒れてしまい事務所に運んだが、何かに取り憑かれたように普段とは似つかない言動をした。その2時間後英子は帰った。その後、英子は交通事故で死亡した。居眠り運転が原因として処理された。その数週間後、今度は別の職員が倒れた。体調不良が続いていた彼女は病院に行ったが原因不明だった。静江は施設に行っている時だけ体調が悪くなるので施設が原因かもしれないという。施設長は呪われていると思い盛り塩を置いた。そんな中施設には新たな女性職員が加わった。またしばらくして静江の夫が職員に加わった。また静江は体調を崩し夫も体調を崩した。2人は早退し夫の運転で帰宅した。
交通事故で静江の夫がハンドル操作を誤り、静江は重傷。夫は昏睡状態だったが一命をとりとめた。施設自体には問題が無かったことが後に明らかになっている。3か月前に職員となった女性が今度は体調不良となった。
真犯人発覚のきっかけは英子の死から4か月立った頃に起こった出来事だった。施設長は麻里が離席した時に飲み物に何かが混入されたのを見て麻里を別室に呼び出し、体調不良について話を聞いた。そこで施設長と麻里は協力して犯人の証拠を掴むことにした。
ホンマでっか!?TV、最後の鑑定人、週刊ナイナイミュージックの番組宣伝。
隣のステラの宣伝。
- キーワード
- 隣のステラ
犯人の正体は准看護師の由美子だった。コーヒーとこの映像を警察に提出した。由美子は逮捕された。その動機と手口が明らかとなった。懲役24年の実刑判決が下った。
- キーワード
- 朝日新聞
約20年前に起きたいじめ疑惑事件を紹介する。ある日山崎さん宅に息子がいじめをしているという電話があり、その後も山崎家には連日のように連絡がかかってきた。また息子が他校の生徒から罵声を浴びせられることがあったという。山崎家ではできるだけ電話のコードを外して生活するようになった。母はストレスで円形脱毛症になってしまった。さらに学校味の電話が殺到した。その上、壁に息子が所属するバレー部への抗議の言葉が書かれていた。またマスコミが学校に押し寄せてしまうこともあった。ついには、不審火も起こった。その発端は数週間前に遡る。木下さおりによると息子がバレー部でのいじめを苦にして自ら命を断ったという。息子の死からほどなく、彼女は損害賠償を求める訴訟を起こした。さらに校長を殺人罪で刑事告訴した。これをきっかけに非難が殺到していた。さおりの証言によるといじめは5月の初め頃に始まったという。そのいじめの中心となったのは山崎くんだったという。隆くんはその後うつ病となってしまった。隆jくんが亡くなる3日前に校長らが説得師に来たという。その4日後に隆くんは命を絶った。校長はすぐに会見をした。いじめがあったことが否定した。その後も苦情は殺到した。しかしさおりの証言のほとんどが身に覚えがないことだった。
隆くんが最初に家出をした理由ぬついて声をマネされたことが原因だとしていたが一方で担任はさおりが隆がお金を取ったことで怒ったなどと聞いていた。モノマネの件は思い当たる行為は一度しかなかったという。ハンガーでの暴行については山崎くんが指導として1年生の頭を軽く1回ずつ叩いただけだったという。校長らが隆くん宅にやってきた時、教育委員会関係者なども同席していてそれは録音されていた。双方の意見は食い違った。裁判は不起訴となった。判決は山崎くんに1万円の支払いが命じられたが。いじめとは認定されず校長への賠償請求も認められなかった。裁判では隆くんの自殺は母親の衝動的な言動ではないかと思われた。
隆くんの一回目の家出は母親との口論であったと認められた。2回目の家出について、担任に注意されたことが原因だとさおりは話していた。しかし生前に隆くんは友人に学校に行ったりしたいが親にダメだと言われているなどと話していた。2回目の家出を機にさおりは態度を一変させた。またさおりは子どもの人権救済センターを訪れたこともあった。しかし弁護士は不自然さを感じ隆くんに単独で話を聞いた。隆くんは母親の言動を恥ずかしく思っているなどと話した。
学校側はさおりに対し損害賠償を求める訴訟を起こした。その後裁判所は学校側の訴えを認めた。1人あたり5000円~5万円の支払い命令がくだった。しかしさおりは裁判に負けたにもかかわらず賠償金を一円も払っていないという。また校長の会見も一部だけ切り取られて報道されていたため大きなバッシングを産むことになってしまった。
- キーワード
- 読売新聞
隆くんの走り書きについて、お母さんがやだのでと書いた可能性があるという。隆くんはお母さんが嫌だった可能性があるとした。しかしねたと書いたら辻褄が合わないと主張があった。寝ていなかった可能性が高かったがこの件は裁判でも明らかになっていない。
1970年の大阪万博をきっかけに誰もが知っている大ヒット商品が生まれていた。ある大手会社で社運をかけたある食べ物を売り出そうとしていた。彼らは大阪万博から持ち帰ったサンプルを解析・研究し、1年後完成した。それは明治ブルガリアヨーグルト。
商品を作った会社は明治でサンプルを提供したパビリオンはブルガリアだった。当時ヨーグルトはすでに日本で食べられていたが甘いヨーグルトで日本人はヨーグルトをおやつとして認識していた。ブルガリアで作られていたのは甘くないヨーグルトだった。しかしそこには大きな壁が待っていた。発売に先立ち明治の社員はブルガリア大使館に出向いた。ブルガリア政府からS許可をもらおうと思ったが拒否されてしまった。そこで別の名前にして売り出されたが不評だった。しかし会社には共感と支持の声が寄せられた。社員はブルガリアを訪問しヨーグルトを食べた。現地で理解を深めた彼らは再び大使館を訪れた。何度も断られても社員は来て何度も試作を重ねた。大使館側も協力を惜しまなかった。そしてプロに判断してもらうこととなった。
サンドの禁断の一騎打ちの番組宣伝。