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24時間テレビで24時間マラソンをしたやす子の舞台に迫る。
今年の24時間テレビチャリティーランナーに選ばれたやす子。8月31日、やす子は走ることも心配だったがそれよりも台風がやってきていることに心配だという。今回の目的である全国の児童養護施設への募金を募るために賛同した1000人のランナーと一緒に走る予定が中止に。台風の影響次第ではマラソン自体も中止になる可能性があった。天候が読めないことから一日目は競技場のトラックを周回することに。その後は空模様次第となる。スタッフの控室にやす子がやってきたがスタッフの体調を気遣う配慮を見せた。この2ヶ月あまりで練習をともにしてきたサポートスタッフのメンバーから気心がしれた仲になっているという。マラソントレーナー達の体調まで気遣う、隠しきれない人柄の良さがお茶の間で愛される理由。
また現場にはやす子が山口県の児童養護施設でお世話になった恩師や自衛隊時代の上官が駆けつけた。やす子はメディカルチェックをうけたが医師たちが体重を公表しないように配慮したが本人は明るく体重が77.7キロでゾロ目だったことに喜んだ。
午後6時30分になると24時間テレビがスタート。この頃にはマラソンスタッフは不安定な天候に神経をとがらせていた。いつでも中断できる体制で進めていたがスタート直前には雨がやんだ。スターターをつとめるのは前回のランナーのヒロミ。
24時間テレビの募金が4億円以上集めたと伝えられた。
やす子が児童養護施設への募金のために24時間マラソンに挑んだ。初日の目標距離は30キロで、300mトラック75周周りづつける。3.6キロ走ったところで一回目の休憩に入った。疲れている様子をみせず2回目のランへ。それを見つめていたのは納言の薄幸。やす子を妹のようにかわいがっているという。やす子は2回目の休憩に入ると肩に痛みを訴えた。しかしその間も周囲の気配りを忘れないやす子。走り始めて1時間過ぎた頃には雨脚が急激に強まるなどし、雨に打たれながら景色の変わらないトラックを周回するのはさぞしんどいに違いないが、それでもやす子は白い歯をのぞかせた。この状況をポジティブに受け入れようとしていたが、そんなやす子に気分転換をしてもらおうと用意されていたのは炊きたてのご飯とご飯のお供。9キロ走ったやす子は薄幸に差し出され煮麺を食べた。
やす子が走りながら始めたのはギャグ。スタッフを飽きさせないように一周して戻って来る度に有名なギャグを行いこれほどまでに周囲を気づかい、笑顔を振りまく彼女はどんな人生を歩んで来たのか?6月27日のマラソンの練習初日にやす子は3時間の練習の中でスタッフの名前を完璧に覚えていた。その理由にワンチームで頑張るためには覚えていたほうが良いという考えからだった。
やす子は1998年に山口県宇部市で生まれた。本名は安井かのんで可愛らしい女の子だったが2歳のときの両親が離婚し母子家庭に。母親は働き詰めだったが経済的に苦しい生活だったという。そして高校生の頃に生活が激変した、
母子家庭で育ったやす子の生活は高校生の頃に激変した。母は働き詰めで経済的に苦しくやす子を児童養護施設へ。施設では安定した生活ができ、当時の夢は大学に進学し獣医になることだった。しかし、その中で養護施設に入っていると100%進学はできないと告げられたという。自分の境遇や未来を考えると気持ちが沈むことも多かったという。しかし高校卒業後に入った自衛隊でやす子は変化した。やす子は高校時代から口癖がすみませんになっていたが自衛隊に入った時にすみませんをありがとうに変えなさいと上官に言われたことがあるという。そのことで気持が前向きになり人との会話も増えるようになったという。人に優しい行いをすれば自分にも返ってくると分かったと語った。そしてこの夏に支えてくれた児童養護施設に恩返するためにマラソンランナーへ。午後11時半には、一周400mのトラックを47周し19.2キロを走っていたやす子。練習で一日で走った距離は15キロで、未知の領域に入ったやす子にサポートチームも万全のケアを行った。足へのアイシングにマッサージでつかれた体を癒やすなどした。この時点で募金額が1000万円近く寄せられたことにやす子も驚いた。
やす子がこの夏8年ぶりに訪れたのは高校時代お世話になった児童養護施設。やす子はその施設にはこういう機会がないと一生いかないような気がすると答えたがその理由は当時の想いが蘇り葛藤を繰り返していたからだという。ここに来ることを迷っていた理由にやす子は、高校の時の担任の赤川先生に思春期で反抗していたからだという。
やす子が児童養護施設でお世話になっていた頃の恩師の赤川先生。反抗期のやす子にも根気強く接してくれていたという。自衛隊に入る際に赤川先生に感謝をしっかり言えなかった事に心残りを感じているという。また先生は自分のことを嫌いだったのでは?と思うこともあったという。園にやってきたやす子は赤川先生と再会。やす子は先生に直接しっかり感謝を伝えられなかったことを伝えたが赤川先生はその時のことをしっかり日記にしたためていたがやす子はしっかり自分に挨拶をしていたと述べ、やす子はその事実に安堵した。その後のマラソンは足取りが軽いやす子。スタッフからの激励にも笑みをこぼした。しかし薄幸の目には今がしんどいと見えると答えた。頑張るやす子に薄幸は一緒に並走し激励。その姿にやす子は感謝をした。そして募金額は1億円に達しやす子は先輩からの応援をうけて22.4キロを走った。
今年の24時間テレビで多くの人々から寄付金を預かったとのお知らせ。
30キロの目標に向けて黙々と走るやす子。ここでやす子に異変があり左足の小指に痛みが走っているという。テーピングでケアをしこれ以上悪化しないようにケアをした。その後は自衛隊の掛け声で自身を鼓舞しながら走るやす子。ここで30キロに到達したがその後のメディカルチェックで体重が増えていることが発覚したが走っている間にも間食をしていた。午前5時半にやす子は40分の睡眠で起床。起き立てながらうどんを食べていた。
今年の24時間テレビで多くの人々から寄付金を預かったとのお知らせ。
午前5時半になり、二日目の走りの前にメディカルチェックをうけたやす子。前日に痛めた左足の小指のマメを痛めないように処置を施した。やす子は児童養護施設への恩返しのために走っているが、自分の思いに一人でも賛同してくれる人を増やそうとマラソン中もSNSを更新。国技館までまだまだ遠いが、笑顔で完走したいと走り出した。
昨日は競技場のトラックを走り続けていたやす子だが今日はこれまで練習してきたのと同じ一般道を走りゴールを目指す。足取りも軽やかで沿道の声援を力に変えて走る。39キロの休憩所ではやす子は昨日の疲労が残っているのか、仮眠をした。しかし1分の睡眠では体力が回復するはずもない。さらになだらかな上り坂を目の前に足への負担がかかり続ける。また雨も降り始めた。これまでの走行距離40キロで足取りが重くなった。後押しされるように再び走り始めたやす子は、児童養護施設への恩返しのために国技館までの1本道をひたすら進んだ。そして一緒に走ってくれているのが自衛隊時代上官だった森脇さん。自衛官を目指した高校生の時に採用試験のために勉強や面接を教えてくれた恩人だという。親身になって応援してくれている理由は実の娘のように感じていたからだという。今回山口からわざわざ駆けつけてくれた。42キロの休憩地点に到達したやす子。入念なケアはかかせないがスタッフたちは歴代ランナーをみてきたため、特に膝には注意を払っている。一度痛みが走るとそれを抑えるのは難しいという。
やす子は再び走り出すと沿道からたくさんの応援が。スタミナも十分でペースも悪くないように思えたが、長丁場の24時間マラソンでは本人の体調以外のところで影響をきたすものがある。天気は台風によって大気が不安定になり、この日の空模様は気まぐれ。ほんの数時間前まで雨だったのが日差しがさし始め、気温も25度を超え急激な温度変化に対応できず体力が奪われていく。
やす子が一般道を走っていると、スタッフはそのやす子の変化にいち早く気づいていた。すかさず練習でしてきた走りと歩きの配分についてもちかける。やす子はその提案をすんなり受け入れ歩きはじめた。アクシデントに見舞われるのは直後のこと。河川敷を歩いていた時に雨を含んだ地面に何回も足をとられてしまった。その後走り出したやす子だったが50キロに到達。この休憩地点で左の足首を捻ったと伝えたが今できる処置を行った。その頃にはやす子のもとには応援団が向かっていた。事務所の先輩のハリウッドザコシショウと錦鯉の二人。サプライスで会いに行き一緒に走ろうとしている。
応援団の事務所の先輩のハリウッドザコシショウと錦鯉がやす子の元へ向かっていた。休憩地点にいるやす子のもとへ届けられたのは児童養護施設の子どもたちが将来の夢を書いたシャツ。
やす子には獣医の夢を諦めた過去があるが児童養護施設にいたために叶えられなかった。自分と同じ思いをしてほしくないと、その思いを知った錦鯉の二人が施設を訪ねて一人ひとりに書いてもらったという。今回の挑戦は子どもたちの夢をつなげる第一歩。やす子はその後も沿道の声援に応えながらゴールを急いでいるとそこにサプライスでハリウッドザコシショウらが励ましにやってきた。ギャグなどで激励した先輩の姿にやす子は笑顔をみせていたが休憩地点を離れてすぐに突然の雷雨が発生した。