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やす子が走っていると、突然の雷雨に見舞われ一時マラソンは中断した。しかし20分後に天気は回復したが激しい雨がコースを悪路にかえていた。やす子は走りながら自身に大丈夫と言い聞かせ走り続けていた。多摩川をわたり東京に入ったやす子。この橋はランナーにとって大きな目安になっているという。左足首が体重の負荷がかかる下り坂で限界に差し掛かっていた。痛みに耐えながら走るやす子。57キロ地点の休憩地点にやってきたがわずか数センチの段差もつかまらないと足が上がらない。足にはマックスの痛みが生じているというやす子。全然大丈夫ではなかった。
やす子は人懐っこい表情をしていたものの、その内では想像以上の痛みを抱えていたに違いないが、そうさせているのは強い責任感と心配をかけまいという優しさがあるため。足首の状態には医学療法士も不安を隠さない。国技館まで残り25キロとなった。
やす子はゴールの国技館に向かっているがその足首の痛みは依然続いている。痛すぎると口にしてしまうほど走るのも酷な状態に。さらに辛いのは赤信号で、止まった状態から走り出すのはキツイ。今回は児童養護施設への募金マラソン。施設の子供たちのためにも頑張る姿をみせなければならない。その手本となる存在がいるという。
やす子には憧れのヒーローがいる。アンパンマンと答えたがその理由は児童養護施設に入っていた時に、赤ちゃんの世話を18歳になった自分がお世話係として入った時にアンパンマンが流れていたという。子どもたちのために流していたアンパンマンだったが自分自身が励まされるようになっていたという。また主題歌も自身に響き、励まされていたという。このアンパンマンのマーチを考えたのは原作者のやなせたかし。メッセージを入れれば子どもたちにもちゃんと伝わるというおもいで書いたと言われている。やす子は不安に感じていた児童養護施設時代に支えられていた。卒園し8年、子どもたちにネタを披露した際にはアンパンマンのマーチを勇気にし、出囃子に使った。同じ境遇にあったからこそ施設の子どもたちが何をしたら喜ぶのかを知っている。
国技館まで20キロ、休憩地点にたどり着いたやす子だが、左の足首にはテーピングを何度も張り、痛みはひどくなるばかりだった。休憩から走ると外は雨。
やす子は不思議なTシャツに着替えていたがそれは児童養護施設を訪ねた時のこと。漢検で準一級をもっているという学生からビャンという漢字が好きという言葉をうけてそれをTシャツにしたという。
やす子は2分走って2分歩くから、1分1分に変更した。周囲への伝達は自衛隊仕込みだった。沿道からはやす子に対し感謝する言葉も。感謝をすれがそれが返ってくる。これも自衛隊時代の上官が教えてくれたことだという。
沿道には2010年にチャリティーランナーだったはるな愛が応援にかけつけた。自身が経営する飲食店では毎月一日だけこども食堂を開いている。家や学校に馴染めずに辛い幼少期を過ごしたはるな愛にはやす子の気持ちが痛いほどわかり、子どもたちの居場所を作りたいと考えている。はるな愛は走っているやす子へサプライズで激励した。
やす子がゴールを目指していると雨がざーざー降りに。近くにあった店のご厚意に甘えて雨宿りに入った。さらにドリンクをもらうなどし、やす子は感謝を述べた。その後再びマラソンに戻ったやす子。11キロという中でスタッフにこのまま歩くことができるか?と尋ねられた。また雨宿りのせいで休憩が10分減ってしまった。現場には先輩の薄幸も駆けつけてやす子は休憩の中元気が出たと答えた。ゴールまであと10キロだが左足の痛みが気がかり。その後やす子は国技館へ急いだが、その国技館では誰もがその到着を見守っていた。その観衆の中にはやす子がお世話になった自衛隊時代の上官と施設の恩師が。やす子はその後徒歩で国技館を目指すがゴールまであと6キロという地点にまで到達した。
国技館へ向かうやす子。ラスト5キロとなり、なんとか気力で走り切るが大雨が降り注ぐ中国技館の中へ向かいゴールした。そして募金額は4億円に達した。
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