- 出演者
- -
オープニング映像。
8月30日、今年の24時間テレビチャリティーランナーの横山裕は弟から差し入れられたドリンクを手にしていた。横山には8歳と6歳年が離れた弟がいる。家庭の都合で弟たちは児童養護施設に預けられた。この日、横山はメディカルスタッフとの検査を済ませ、スタートに備えてきちんと食事を取った。元来少食だというが、エネルギー不足に陥ると足がつってしまうということで好物のツナマヨや鮭、白飯などをきちんと食べた。今回挑むのは105kmの距離。24時間テレビの放送が始まり、横山はスタート地点へ。ここでサプライズスターターとして相葉雅紀が登場。相葉と横山は事務所の同期。中学生の頃から家族ぐるみの付き合いをしている大親友だという。相葉の登場に喜んだ横山は両国国技館まで105kmの道のりをスタートさせた。
今回の横山の挑戦でずっと実況を担当していた蛯原は「横山さんの姿勢や信念がずっとぶれない、そんな105kmだった気がしますね」とコメントした。
相葉に見守られながら横山の挑戦がスタート。今回横山が挑むのは24時間子ども支援マラソン。経済的な支援を必要とする子どもたちのために寄付金を集める。横山は昨年デビュー20周年を迎えたSUPER EIGHTに所属。メンバーの中で最年長の44歳。バラエティで活躍する一方、40本以上の映画やドラマにも出演している。15歳で芸能界入りしたのは母の応募がきっかけだった。しかし横山本人は中学卒業後に家計を助けるため建設会社に就職。夢はアイドルではなく現場の親方だったという。23歳でデビューし今ではメンバーはもちろん後輩からの人望も厚い。今回横山が挑戦を決めた理由は弟たちとの絆だった。1981年、大阪で生まれた横山は3歳の時に両親が離婚。5歳の時に再婚し「横山」姓となった。再婚後8歳と6歳年下の弟が誕生。しかし母親が再び離婚、同時の母親の癌が発覚した。入退院を繰り返すようになり行き場がなくなった弟たちは児童養護施設に入った。
横山はこの夏、三男の充さんがお世話になっていた養護施設を訪問。施設に残されていた日誌には「兄が最近CDを出しテレビに出ることが多く喜んでいる」などと横山の活躍を喜ぶ充さんの姿が記録されていた。弟の想いに涙した横山は高槻市にある福祉支援団体を訪ね、現状について話を聞いた。支援が必要な家庭に配られる食料などを把握し、まだまだ不十分だと改めて認識。自分がチャリティーマラソンを走ることで支援が必要な子どもたちの存在を知ってもらえるかもしれないと決意を新たにした。さらに去年マラソンに挑戦したやす子が集めた寄付金が施設への自転車やテレビの寄贈として明確に役立っていることを知った横山は「誰がなんと言おうが走ります」と断言。当日、夜が深まる中、順調に距離を稼いでいた横山だったが、走行距離30kmに迫った付近で大きな不安要素に襲われた。
8月8日に行われた初の長距離練習では30km地点で足が止まった横山。これまでの人生で走った最長距離は20kmだといい、30kmは未知の領域だった。不安をみせる横山だったが「それでもやる」と言い切り迎えた本番。体に負担をかけない走りを意識し休憩を挟みながら30kmを走破。しかし間もなく右足に違和感を覚えた。一日目のゴール前には約2kmの長い坂道が。横山は途中でウォーキングをはさみ明日に備えてクールダウンした。
今年の24時間テレビの一般募金(キャッシュレス募金)は31日午後9時30分時点で1億7950万円だった。
日の出とともに2日目が開始。両国・国技館までは残り66km、順調な滑り出しをみせたが44kmを過ぎた時点で右膝に違和感が。50kmの休憩地点で足にテーピングを施した。痛みを隠しながら懸命に走る横山の元に共演するヒルナンデス!出演メンバーが駆けつけた。南原は横山が練習中に「めんつゆが美味しかった」と言っていたのを聞きめんつゆを差し入れたと明かした。
今年の24時間テレビの一般募金(キャッシュレス募金)は31日午後9時30分時点で1億7950万円だった。
午前9時前ヒルナンデス!出演メンバーがサプライズで応援に駆けつけた。やす子といとうあさこが並走し休憩地点には南原が。南原はヒルナンデス!メンバーの寄せ書きが入った水筒をプレゼントした。南原たちの激励を受けた横山は気持ちを奮い立たせ再スタートを切った。
沿道からの応援を受けながらなんとか60km地点までたどり着いた横山。普段から極端な少食で1日1食鶏肉や野菜のみの生活を続けている。体型維持のためだというがこれが今回の不安要素に。身長176cmの横山の体重は57kg。同じ身長の男性の標準体重は約68kgで約10kgも差がある。食べ物で補充しなければ体力不足に陥る懸念があり、休憩の合間にフルーツなどで栄養を補給した。うだるような暑さの中、走り続ける横山だったが、70kmの休憩地点でついに「しんどいな」と弱音が。そのタイミングで城島茂と森本慎太郎が応援のため訪問。城島はサプライズを用意していると明かした。
城島茂と森本慎太郎が福島の食材を使って横山への差し入れを調理。楽屋で休憩する横山の元へ届けた。
城島茂と森本慎太郎が福島の食材を使って横山への差し入れを調理。楽屋で休憩する横山の元へ届けた。DASHのロケかと勘違いした横山は完全にオフモードで城島に対応。しかしカメラを見つけると飛び起き姿勢を正した。城島らが差し入れたのは新男米の焼きおにぎりにじゅうねんの冷やだれをかけた冷やし茶漬け。寝起きで頭が回らない中、一口食べて「うまい」と味に感激した横山はぺろりと完食した。城島たちの激励で元気を取り戻した横山は再び走り出したが時刻は最も暑くなる午後2時。氷水を頭から被るなど何とか対策を重ね走った。しかしついに限界が訪れ足が止まり、道のベンチにすがるように座り込んだ。
歩道脇のベンチに座り込んだ横山は足をアイシングしてもらい気持ちを切り替え。足の痛みに注意を払いながら再スタートを切り、歩き出した。横山と並走するのはサポートランナーの中川修一。中川はランナーに的確な声かけをしモチベーションやペースを保つ完走請負人。横山にも効果的に言葉を投げかけ再び走り出すまでペースを取り戻させた。
終盤に差し掛かり、ペースを取り戻した横山。その頃次の休憩地点には横山を慕う後輩たち「横山会」のメンバーがスタンバイしていた。横山の到着が遅れ不在のまま中継がスタート。そのまま終了し、横山が到着する頃には中継カメラはこないことが決定していたが、横山会のメンバーは放送有無関係なしに盛大に出迎えた。中継がないことがわかると横山は「言っていいですか?」と前置きし、小瀧が今回のサプライズ訪問をYouTubeで事前にバラしてしまっていたと指摘。全員から責められた小瀧はただただ反省した。後輩たちと笑い合い疲れを癒やした横山は再び走り出す。夕方になるにつれペースアップしていった。
休憩を終えリズミカルに走り始めた直後、横山はわずかな段差でバランスを崩した。足腰の疲弊で体が言うことを聞かなくなっていた。時間内にゴールしたい横山は奮起したがそれを阻むようにゆるやかな上り坂が続いた。4分押しとスタッフに言われ休憩時間を短縮することを決断。走っている最中にはいろんな人の顔が浮かんだといい、「何回もオカンは出てきました」と話した。母の美奈子さんは決して裕福ではない経済事情の中、横山には仕立ての良い服を身に着けさせ自分はボロボロの服でいるような人だったという。再婚で2人の弟を生んでくれたが離婚する頃には癌を発症。母の応募ですでに事務所に所属していた横山は建設会社に就職し肉体労働の傍らレッスンを受けていた。8年の下積みを経てデビューした横山は母と弟を助けたい一心でがむしゃらに働いたという。母を想って作った歌「オニギシ」は母親の手作りのおにぎりが好物だった横山が子供の頃おにぎりをそう呼んでいたことからタイトルが決定。一度だけ母の前で歌うと美奈子さんは喜んでいたと明かした。
母の訃報が届いたのは2010年5月の青森。ライブが始まる直前だった。母ならばステージに立つことを喜ぶと思い何とかライブに参加したが、セットリストの最後「オニギシ」を歌う際に耐えきれず号泣。歌うことができず泣きじゃくる横山にファンは騒然、メンバーもそんな横山の姿を目にしたのは初めてのことでどうすることもできなかったという。今回のチャリティーマラソンは母が襷をかけてくれたと思っていると明かした横山。満身創痍の中、ついに両国・国技館が見えてきた。そこで待っていたのはSUPER EIGHTのメンバー。横山を出迎え並んで国技館へ。仲間に支えられ見事ゴールテープを切った。全国から寄せられた寄付金は7億40万8600円。全国から寄せられた共感の証だった。
TVerで無料配信。
- キーワード
- TVer
「カズレーザーと学ぶ。」の番組宣伝。