- 出演者
- 矢作兼(おぎやはぎ) 狩野恵里 ビビる大木
西日暮里駅から。男性に声をかけ交渉成立。家が近いためコンビニ代をお支払い。日野原さんは特許関係の仕事をしているという。玄関には書道師範の看板。妻・えつこさんは書道師範の資格を持っている。3Kで家賃は120000円、築約30年。ラーメンののぼりやオリオンビールの提灯、赤電話などがある。日野原さん夫婦は5年ほどの交際期間を経て結婚、1988年に新婚露光でハワイへ行ったという。出会って2週間で2人は恋仲になったという。阪神や柏レイソル、高梨沙羅選手を応援していて平昌オリンピックに行き高橋尚子さんと写真を撮ってもらったという。月に1回はどこかへ行き海外には20カ国以上、旅行している。またベルリンの壁を壊していたとき立ち会ったという。そしてベルリンの壁の石を拾ってきた。さらにソ連崩壊にも立ち会った。日野原さんは30歳のときにがんを患い、えつこさんや同僚が千羽鶴を折ってくれた。結婚して2年、幸せの中訪れたがん宣告だった。3か月の入院生活後も2人の旅は続いた。取材から6年後、日野原さん一家は今を取材。阪神が優勝した際、1人でビールかけをしたという。大谷翔平選手を観にロサンゼルスやエスコンフィールドHOKKAIDOにも行った。しかしミーハー生活を楽しむ日野原さんに由々しき事態が。円安と物価高騰で旅費がかつての3倍に。そこで本格中華でプチ旅行気分を味わっている。そんな日野原さんの夢はワクワクや感動!好奇心をいつまでも持ち続けたい。日野原さんの家を6年ぶりに訪れたら童心が人生を豊かにすることを学びました。
中目黒から。男性に声をかけ交渉成立。家が近いためコンビニ代をお支払い。自宅に到着。2LDKの持ち家で築42年。かんじさん・じゅんこさん夫妻は月1回、絵画教室に通い描いた絵を飾っている。夫婦で晩酌するのが日課。去年、60歳同士で結婚した。じゅんこさんは初婚、かんじさんは30歳過ぎに一度結婚しており2人の子どもがいて元嫁は他界し10年近く経っている。20代の頃、付き合っていて復縁した。取引先として業務が一緒だったという。じゅんこさんは結婚願望があったものの違う好きな人ができたと言われ破局。2019年、共通の上司がいて偲ぶ会が行われ帰りの電車で再会。何度か会ううちに楽しいと思い復縁。中目黒駅でかんじさんの家について行ったら還暦婚で第二の人生をスタートさせた素敵な御夫婦に出会いました。
愛知県東栄町から。移動販売車の買い物代を払う代わりに家を見せてもらう企画。女性と交渉成立。内藤さんは大正14年生まれの90歳。自宅は4Kの持ち家。夫は平成8年に亡くなった。自宅は築87年。結婚は昭和21年。22歳で長男を出産、3人の子どもがいる。高等科1年で学校をやめ働きに出た。勤め先に好きになった人がいて初恋だった。出会って喋るだけが楽しみだった。だが80年前、内藤さんの初恋は実らなかった。初恋の相手が戦争へ。
80年前、内藤さんの初恋は実らなかった。少年航空兵は戦争中、軍に志願した男性で太平洋戦争中には特攻隊にも多く動員された。3人の子どもを育て上げ、50年連れ添った夫も看取った。時々思い出すのが70年前の初恋。あの取材から8年、当時取材したオタクはただの空き地に。3年前、内藤さんの体調が悪化し家族のいる豊橋へ引っ越していた。長女・みはるさんのお宅へ。
内藤さんは足腰が悪くなり外出できなくなり、調子が悪くなり入院。2年前の令和4年2月17日に亡くなった。住み慣れた家を離れて1年、家族に見守られ96年の天寿を全う。「お山のおばあちゃん」と呼ばれていて、色んなものを作っている時が楽しそうだったという。引越し後は家族との時間を大切にしていた。
「有吉ぃぃeeeee!〜そうだ!今からお前んチでゲームしない?」の番組宣伝。
晩酌の流儀3の番組宣伝。
8年後にみよこさんの家にいったら…歴史に翻弄され行きた女性の繋がる思いがありました。