- 出演者
 - 黒柳徹子
 
オープニング映像。
1991年7月31日放送。「アンパンマン」の作者・やなせたかし。子どもがアンパンマンの話が好きな理由を考えても僕には分からない。子どもに合わせようとは考えていない、自分が面白いと思って描いていると話した。スタジオにラフスケッチを持参し、苦労する部分などを紹介した。やなせたかしは「手のひらを太陽に」という曲の作詞を担当。明るい曲だが、作詞した時はつらい時期だったという。やなせたかしは300曲くらい作っているが、こんなに歌われた曲は1曲だけだと話した。
1988年4月21日放送。大島渚は着ている着物について、糸から色を染めたもの。家内から結婚20周年のプレゼントとして貰ったと話した。どちらかと言えば明るい色や温かい色が似合うと思っており、ピンクやオレンジが好きな色だという。グレーの服を着ていると、ブルーな気持ちになると話した。妻・小山明子については手を抜く時がある。簡単にと言うが、僕は簡単は嫌いだと話した。
1984年4月10日放送。島倉千代子の父は警察官、6人きょうだいの四女。姉がポリドールで準専属までいったが、小児麻痺で舞台に立つことができないため、姉の意志を継いで歌っていると話した。様々なアルバイトを経験してきたといい、クリスマスツリーの灯りの点検や下駄磨きをやったという。稼いだお金でアコーディオンを買った。我が家はきょうだいが多いため、欲しいものは自分で買うと話した。
1999年7月23日放送。島倉千代子は子どもの時から歌が上手く、NHKの「のど自慢」に何回も出たが、鐘は1つだったという。紅白歌合戦には34回出場、数多くのヒット曲を持っている。「この世の花」や「人生いろいろ」などが流れた。恋愛についての目標は1日1回恋をすることだと話した。デビュー当時、恋をする暇もなかったという。
1992年4月27日放送。三國連太郎はものに全く執着がない。少年時代から様々な仕事をしてきた。映画館の看板の下描きもしたことがあると話した。色んな職業を経験したことは芝居の上で非常にプラスになっているが、人間関係に関しては特に変わらないという。
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 - 三國連太郎
 
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