- 出演者
- 有馬嘉男 森花子
日本海に浮かぶ小さな島が今静かな脚光を浴びている。隠岐諸島・海士町。昭和以来日本全国を苦しめてきた過疎という魔物は、交通が不便なこの島を容赦なく襲い、住民を奪い去った。人口に加えて町の財政も破綻寸前。そのとき立ち上がったのは元営業マンで苦労人の町長。島を守るため自ら給与をカットし逆転に打って出た。その思いに続いたのは町役場で働く3人の幼なじみ。
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- 隠岐島
各地で進む深刻な過疎。今日本が直面する最大の課題の一つといえるが、その危機を乗り越えて注目を浴びる島がある。その島が、島根県隠岐諸島の一つ海士町。松江からフェリーで4時間ほどかかる。今から20年前、このままでは島から人が消えるかもしれないというほど深刻な人口減少に直面した。1980年代日本は豊かさを謳歌していた。大阪では駅ビルが次々に開業好景気に沸いていた。隠岐諸島海士町から大阪の大学に進んでいた吉元操さん。吉元さんの実家は漁師。長男は島に帰るものだと言われしぶしぶ従ったが、本当は都会暮らしがしたかった。漁師より安定した仕事がいいと就職したのは海士町役場。配属は財政課だった。役場には幼なじみが勤めていた。奥田和司さんと大江和彦さんも長男で島に戻り土木課に所属していた。フェリー、埠頭や道路、橋の建設。島を便利にする公共事業は住民からの要望が強く、国からの補助金も潤沢だった。幼なじみの2人とは違い、楽しみを見いだせない吉元さんは、青年団の人形劇に駆り出される日々だった。島を支えてきた漁業は衰退の一途。魚を本土まで運んでも鮮度が落ち買いたたかれる。長く続いてきたみかん農家も運搬費がかさんで稼ぎにならず消えていった。建設業のほうが安定して稼ぎもいいと、漁業や農業から転じる者が増えていた。10年が過ぎた。荒波は東京からやって来た。景気は冷え込み、公共事業への国からの補助金は次第にカットされた。しかし工事の発注を止めれば地元の雇用が守れない。海士町では借金をして工事を続けた。
1999年。人事異動で財政課に戻った吉元さんは衝撃の事態を伝えられた。町の財政が破綻しかけていた。町の収入35億に対し支出は52億円。そのうち10億が借金の返済に充てられていた。借金は102億円。放置すればさらに利息で膨らんでいく。町の財政が破綻すれば、町営バスの路線を廃止し診療所も縮小するなど暮らしに大きな影響が出る。公共料金も大幅に上がる。借金の最大の原因は公共事業。そう伝えられた土木課の奥田和司さんと大江和彦さん。町のために必死で働いてきたつもりだった。しかし3人が周りに危機を伝えても「気にしすぎだ」と冷めた声が返ってきた。そんな中、2002年新たな町長・山内道雄さんが就任した。高校卒業後島を離れ民間企業で営業を担当していたが、母親の介護のため島に戻っていた。山内さんは町民と気さくに話す異色の町長だった。支え合う人情がこの島の宝。山内が町長になったのは「ふるさとに恩返しをしたい」と考えたからだった。山内は言った。「役場はサービス業町民はお客さん。島を守るアイデアはなんでもやる」。ふるさとを次の世代につなぐ。待ったなしの闘いが幕を開けた。
海士町を襲った人口減少がどれほど深刻だったのか。1950年に約7000人いた人口が2000年になると2670人にまで減少。10年で500人ずつ減るというペース。人口減少は海士町に限ったことではない。ただ、海士町はこれに拍車をかける問題があった。返済のめどが立たない102億円の借金を抱えて、財政破綻の危機に直面していた。破綻すると町は国の管理下に置かれて、病院、バス、町営住宅と町の暮らしが根本から失われる懸念があった。海士町役場では、連日財政の立て直し策が話し合われていた。このままいけば5年後の2008年には町の財政が破綻する。回避する策は1つしかなかった。自分たち管理職の給与を当面の間カットする。吉元さんが山内道雄町長に進言すると山内町長はこう言った。「まず俺の給料を半分にしてくれ」。問題は皆の理解が得られるか。仕事が終わった夜、管理職全13人が会議室に集まった。若手の希望が消えないよう、一般職の給与は削らないことを条件に全管理職が給与カットに応じた。まもなく一般職でつくる組合から異例の要求が届いた。「自分たちの給与もカットしてほしい」。賃下げ要求だった。しかし新たな財源がないかぎり危機は続く。土木課の奥田さんは、山内さんから公共事業に代わる産業をつくるよう命じられた。島の特産は、甘みのある天然のシロイカや大切に養殖してきた岩がきなどの海産物。最新の冷凍設備があれば鮮度と味を保って運べると分かったが5億円かかると言われ頭を抱えた。だが山内さんは即決した。しかし、慣れない営業電話をかけてもお役人の商売だとあしらわれた。そこに2006年、絶望的な知らせが届いた。町唯一の高校島前高校の新入生が35人に減った。統廃合の危機が目前に迫っていた。このままでは次の世代が島に住めなくなる。海士町は荒波の中にいた。
吉元さんは島に高校がなくなるのは若いものが住めなくなるとした。総額で2億円の給与カットで家族には言えなかったという。
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- 海士町
海士町の海産物を全国に売る奥田さんの取り組みは苦戦していた。山内町長は自ら東京に出向き、売り込みを手伝った。「モノを売るときはまず自分を売れ」。営業マン時代の信念を背中で奥田さんに伝えた。奥田さんの妻も力になりたいと動いた。地元出身で食べ方は知り尽くしている。島を訪れたバイヤーに手料理を振る舞い、家族一丸もてなした。役場職員の給与カットは続き、新聞は国内最低水準だと報じていた。この数年身を削って働く職員を町民は見ていた。島で旅館を営む宇野貴恵さんは役場への印象が一変していた。生徒数減少に苦しむ隠岐島前高校では大改革が始まった。吉元さんが中心となり、起死回生をかけてある人物を口説き落とした。岩本悠さん。東京のサラリーマンだが、学生時代に途上国で学校をつくったというバイタリティーの持ち主である。偶然特別授業の講師として海士町の中学校にやって来た。見学した吉元さんは無茶を承知で「この島に移住して魅力ある高校づくりを手伝ってもらえないか」と頼み込んだ。吉元さんの熱意に押され4か月後、岩本さんの移住が決まった。
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- 海士町(島根)
岩本さんが打ち出したのは全国から留学生を募る「島留学」。寮生活をしながら漁業や農業を体験し、生きた知識を学べるユニークな学校である。留学生をサポートする「島親」には隣の島からも手が挙がった。1年目の留学は8人。その子たちを大切に見守ると翌年は12人に増えた。財政、バス、値上げに言及。海産物の冷凍販売で新事業を立ち上げていた奥田さん。総力戦になっていた。料理自慢が知恵を出し合い、地元にしかない味付けの新商品を続々と開発した。そのサンプルを手に、奥田さんは山内町長と営業に回った。コツコツと居酒屋チェーンやデパートを回り、頭を下げた。鮮度と味のよさが認められ、新事業で利益が出るようになったのは5年目のことである。島で漁師をやりたいと移住してくる者が現れた。Iターン者をみんなで歓迎した。元トヨタ自動車の阿部裕志さん。移住の決め手になったのは山内町長が島の子どもと話している姿だったという。町を挙げての改革が始まって今年で22年が経つ。かつての財政危機を脱し、新たな移住者は750人を数える。消えゆく運命に一度は打ちひしがれた島。歓声が響く笑顔の島になった。
吉元さんらは山内さんの言葉は情があり、苦しんでいる、弱っている人のことを理解していたなどと話した。海士町の「サザエご飯」を有馬さんらは試食し浜で食べたらおいしい等とコメントした。
2018年に島が危機を乗り越えたのを見届け、山内さんは町長を退任した。任期16年で給与は最後までカットしたままだった。今年1月、85歳で山内さんは亡くなった。病床にも町の資料を置き、島の未来を考え続けていた。この春も島の高校から卒業生が羽ばたいた。3年間生徒の成長を見守った島親たちも巣立ちを祝った。大学に進むため島を離れる者もいれば、留学で来たこの島で働きたいと戻る者もいる。
エンディング映像。
プロジェクトX〜挑戦者たち〜の番組宣伝。