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オープニング映像。
子どもたちは大爆笑だがお母さんたちはなぜか涙。熱い視線が注がれているのは紙芝居であった。紙芝居屋のbenbenさんは絵をめくりながら物語を伝えるという紙芝居の枠を超え、登場人物になりきって客席に飛び込んでいく。さらに手作りの小道具も駆使し観客を物語の中にグイグイと引き込んでいく。試行錯誤の末、独自に編み出した紙芝居で1人でも多くの人に元気を届けたいとなっていた。今週は「令和の紙芝居屋さん ~自分らしく生きる道~」となる。
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- 癒しのデイサービス草加安行草加市(埼玉)
紙芝居の作品作りはタブレットで行う。全てオリジナルでこれまで130作品以上を発表してきた。紙芝居屋に欠かせないのは駄菓子で見に来てくれた子どもたちに販売し、その売上が収入になっている。紙芝居はその日の観客に応じて選び、小学生が多い時はクイズなど遊びが入った作品で親子連れにはメッセージ性のある物語が人気である。この日はいつもの公園へ行き、benbenさんを子どもたちが待っていた。子どもたちにつられて大人も集まってきた。大盛況に見えるが、紙芝居屋の商売としては赤字の月がほとんどである。それでも紙芝居屋を続けるのには理由があり、benbenこと武田美岐さんは東京都荒川区生まれで両親が共働きだったため放課後は毎日のように公園へ。benbenさんが育った荒川区は紙芝居発祥の地とも言われ特に盛んだった。当時の貴重な映像が残っており、benbenさんも夢中になったという昭和を代表する紙芝居屋の森下正雄さんは独特の語り口で子どもたちの人気者であった。
保育士として働き25歳で結婚し、2人の子供が生まれた。子育てに思い詰め、母に助けを求めようとするがその矢先に母・富子さんは58歳で死去した。どん底に陥った時、ふとチラシを目にして見に行ったのが道化師のショーで久しぶりに心の底から笑った。そして幼い頃自分にとって救いだった紙芝居のことを思い出した。伝統的な紙芝居を5年間学び、晴れて独り立ちしたが最初は怪しまれたこともあった。地域に受け入れてもらえなかったり1人も観客が来なかったりしたが、諦めず試行錯誤を続け今の観客参加型の紙芝居にたどり着いた。家に戻ると急いで夕飯の準備となり、悩み育てた子どもたちは高校生と中学生になっていた。いつかは海外でも演じてほしいというのが今の家族の夢であった。
経営者の高齢化や仕入れ価格の高騰など、駄菓子屋さんも厳しい時代になっている。この日はイベントに参加するため遠征となり、やって来たのは群馬県庁であった。子育て世代が集まるイベントで紙芝居を披露することになっていた。紙芝居屋になってまもなく4年、まだまだ試行錯誤中だというbenbenさん。この日は恩師である三橋とらさんを訪ねた。とらさんは紙芝居屋だった母を継いで16年で2代目として活躍している。benbenさんは日本一の紙芝居屋さんを決める大会に出場することになり、報告を兼ねてアドバイスをもらいたいと考えていた。デビュー以来紙芝居をしっかり見せるのは初めてであった。
大会の13日前、新作の紙芝居作りが始まった。人の温もりが伝わることこそが紙芝居にしかできない魅力だと考えた。描き始めたのは紙芝居屋さんの姿で自分を救ってくれたあの、森下正雄さんであった。大会当日、大阪の会場に全国で予選を勝ち抜いた20人の紙芝居屋が集まった。審査は小学生が行い、テーマは「かみしばいやさん」であった。残念ながら優勝は逃したbenbenさんだったが、紙芝居に託したbenbenさんの思いはしっかり届いていた。
この日もいつもの公園にやって来たbenbenさん。熱心に紙芝居を見ているのは小学4年制の男の子。5歳の頃にbenbenさんの紙芝居に惹かれ、自分でも描き始めていた。自作の紙芝居を披露することとなり、伝えたかった紙芝居の魅力をしっかりと感じてくれていた。今の自分が好きになれたのも紙芝居のおかげであり、これからも紙芝居といっしょに歩んでいく。
「日本のチカラ」の次回予告。
「グッド!モーニング」の番組宣伝。「ホルムズ海峡 イランが開放を表明」「19日に2度目の対面協議か」など。
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