- 出演者
- 上沼恵美子 香取慎吾 上垣皓太朗 池波志乃
オープニング映像。今年亡くなった方の貴重映像&素顔を上沼と香取が偲ぶ。
タレント・ファッション評論家のピーコさん。今年9月、敗血症による多臓器不全のため79歳で逝去。元々芸能人の衣装担当のピーコさんと制作会社勤務のおすぎさん。面白い双子がいると業界内で話題となりワイドショーのリポーターに抜擢。以来、辛口コメンテーターとして活躍した。
関西の女性漫才を牽引し続けてきた今いくよ・くるよの今くるよさん。2015年に先立った相方いくよさんの後を追うように今年5月、膵がんのため逝去。いくよさんの死後も舞台に立ち続けていた。今いくよ・くるよは芸能界一のコンビ仲とも言われ、胃がんになったいくよさんをくるよさんは献身的に看病したという。いくよさんの死後、いくよさんとの約束を果たすため女性芸人限定ライブを開催。
アニメ「ちびまる子ちゃん」の主人公まる子を演じた声優・TARAKOさん。「ちびまる子ちゃん」は放送回数1626回、最高視聴率39.9%。視聴者の間で神回と呼ばれているのは1990年放送47話「お父さんとお母さん けんかする」の巻。34年まる子を演じたTARAKOさんはハマり役だったが、アニメ化当初は別の声優が有力候補だったという噂もある。偶然聞いたTARAKOさんの声が自分に似ていると作者・さくらももこ先生自身が抜擢。
2018年11月、さくらももこ先生が亡くなられた際にはTARAKOさんがもう1人の自分へ温かいねぎらいの言葉を贈った。TARAKOさんは2023年11月、体調を崩し病院へ。ある重い病が判明しすぐに入院生活を余儀なくされた。それでも仕事関係者の前では嘘をついてでも心配をかけないようにしていた。病院からアフレコ現場へと向かっていたが病状は回復せず今年2月、病室での収録を希望。それはTARAKOさんの唯一のわがままだった。特別に病室に許可を得て収録を行うこととなった。しかし容態が急変し3月4日に亡くなった。
TARAKOさんが亡くなる前に吹き込んだ未公開音声を公開。
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「SMAP×SMAP」最終回の後、香取慎吾はもう1回ステージに戻って手をついてステージを降りたという。その後1人でステージを始めた時に「戻ってきました」と手をついたと明かした。
10月17日、俳優・西田敏行さんが急逝。俳優、歌手、司会者とあらゆるジャンルで活躍。代表作は映画「釣りバカ日誌」シリーズ。広瀬アリスさんは演じることにプレッシャーを感じていた時、悩みを打ち消したのが西田さんだったと振り返った。役者、現場を楽しむことを背中で教えてくれたという。
映画「釣りバカ日誌」で妻役を演じた浅田美代子さんは共演前から親交があったという。その後夫婦役となり、母の病室の隣に西田さんも入院していたことなど不思議な縁を感じたと明かした。西田さんのもう1つの代表作は「池中玄太80キロ」。主題歌「もしもピアノが弾けたなら」も大ヒット。
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- NHK紅白歌合戦もしもピアノが弾けたならタンチョウヅル井上由美子六本木(東京)唐沢寿明山崎豊子山田洋次新潮社杉田かおる松木ひろし柴俊夫栗山富夫武田鉄矢池中玄太80キロ白い巨塔荒井雅樹西田敏行釣りバカ日誌長門裕之関根俊夫
西田敏行さんの原点の場所は演劇。大学を中退し劇団青年座に入団。53歳まで舞台に立ち続けた。自分を育ててくれた青年座に恩返しするかのように出演し続けた西田さんはギャラはほぼボランティアだったという。西田さんは50代になると三谷幸喜作品に出演。「ステキな金縛り」ではアドリブ全開だっただという。
「オクラ〜迷宮入り事件捜査〜」「華大さんと千鳥くん」「スノードロップの初恋」の番組宣伝。
西田敏行さんと親子役で共演した香取慎吾は毎日のように「大丈夫?」と声をかけてくれていたと振り返った。後輩・加藤満さんは壁を作らない西田さんの姿を見ていた。周りを気遣い前向きだったという西田さんの性格は大病を患ってからも変わらなかったと親友・松崎しげるさんは語る。松崎さんは西田さんに最後に「西田!日本一!」という言葉をかけたと明かした。
俳優・中尾彬さんは今年5月、心不全のため亡くなった。中尾さんは1961年俳優デビューするとスタイルの良さと甘いルックスで瞬く間に注目を浴びた。1978年、妻・池波志乃さんとドラマで共演。2人の距離を縮めたのは食だった。その後2人は結婚しおしどり夫婦としても人気に。多忙を極めた中尾さんの活力となったのは志乃さんの手料理だった。
2006年、志乃さんがフィッシャー症候群を発症。翌年、中尾さんが急性肺炎で緊急入院。その後仕事に復帰し元気な姿を見せていたが、2006年以降手術を繰り返していたという。周囲に病気を隠し仕事を続けた中尾さんの最後の撮影は亡くなる2週間前のCM。最後の共演者となった鈴木福さんは周りに気遣い仕事にも妥協しない姿を見せていたと話す。中尾さんは20年近く食日記を付けることを続けていたという。
中尾彬さんが亡くなる4日前、中尾さんの希望で精養軒に立ち寄り冷凍ハヤシライスを購入した志乃さん。これが中尾さん最後の外出となった。3日前、中尾さんは志乃さんが作ったサンドイッチをわずかに口にした。2日前、中尾さんが最後に口にしたのは志乃さん手作りのクリームソーダ。そして翌日、息を引き取った。今回取材で見つかった中尾さんが生前、志乃さんへ送った感謝のメッセージを紹介した。
今年4月6日、曙太郎さんがのため亡くなった。外国人初の横綱として優勝回数11回。ハワイで生まれた曙さんは18歳の時にスカウトされ相撲部屋へ入門。20歳で早くも十両に昇進した曙さんの前に立ちはだかったのはライバルは若貴兄弟。若貴兄弟と同期だった曙さんは敵役としてバッシングを浴びる。曙さんはこの厳しい状況を前向きにとらえていた。1992年五月場所、曙さんは若花田さんを破り初土俵から4年で初優勝。大関昇進を果たすと翌年には外国人初の横綱に。その後も曙さんと若貴兄弟のライバル争いは続くが今でも語り草になっている取組は、1993年名古屋場所の優勝決定巴戦。曙さんが勝てば優勝が決まる貴ノ花との大一番は瞬間最高視聴率66.7%。
優勝が決まる大一番、開始4秒で勝利し横綱として初優勝を飾った。ヒール役の曙さんだったが真剣に取り組む姿や優しい笑顔でいつしか人気者に。さらに曙さんは路上生活者に相撲の懸賞金を渡していたという。長野オリンピックの開会式ではハワイ出身の曙さんが日本を代表して土俵入りを披露。2001年、31歳で現役生活を引退 。その後格闘家に転身。さらにプロレスにも挑戦。2017年、体調不良で緊急入院。
曙さんは1998年、曙クリスティーン麗子さんと結婚。クリスティーさんにテレビ初公開の自宅で話をうかがった。まだ側にいて欲しいという思いがあり遺骨はお墓に入れていないという。2017年、曙さんが緊急入院をした時の状況を明かした。急性心不全を起こし心臓が37分間停止したという。一命は取り留めたが記憶障害の後遺症が残ってしまった。家に帰って家族と過ごすという目標に向かい7年間闘病を続けた曙さんだったがその願いが叶うことはなかった。逝去から7か月、花田虎上さんが曙さんの自宅を訪れた。遺骨に手を合わせ「いつかハワイの大きな樹の下でお話できれば」と話した。
演歌歌手・小金沢昇司さんは1992年放送「フィニッシュコーワ」のCMで注目を集めた。今年1月、呼吸不全のため65歳で逝去。小金沢さんは北島三郎さんの弟子の一人。25歳の時に弟子入りし不器用ながらも一生懸命仕事に取り組んだ。弟子入りして2年、1000人の前で歌を披露する機会をもらう。その後29歳でデビューするもヒット曲に恵まれなかった。そんな中、無名の小金沢さんがフィニッシュコーワのCMに大抜擢。この裏には北島三郎さんが動いていた。