2023年11月23日放送 0:44 - 1:29 NHK総合

映像の世紀バタフライエフェクト
朝鮮戦争 そして核がばらまかれた

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(オープニング)
今回は…

1950年、戦後日本の統治を担っていたダグラス・マッカーサーは当時の国民から「平和主義者」として持て囃されていた。しかし、同年に勃発した朝鮮戦争で米軍の司令官を努めていた彼は、平和主義者とは程遠い顔を見せている。中国とソ連を巻き込んで泥沼化した戦局を打開するため、本国に26発の核兵器使用を要求していたのである。朝鮮戦争でアメリカの核の脅威に晒された各国は先を争って核開発を進め、やがて世界が核戦争の恐怖に怯える時代を招くことになった。今回は、核の野望に取り憑かれた権力者たちの物語。

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オープニング

オープニング映像。

(映像の世紀 バタフライエフェクト)
朝鮮戦争 そして核がばらまかれた

1945年8月。ソ連軍の朝鮮北部進軍により、35年に及ぶ日本の朝鮮支配は終わりを迎えた。それから1ヶ月後、朝鮮南部にはアメリカ軍が進軍。両者は38度線を境界とし、朝鮮半島を分割統治することになった。この分割統治案は8月14日に2人の米軍将校が30分で起草したもので、統治の開始直後は国境の警備も緩く、現地の兵士たちも互いに友好的なムードで接していたという。それから程なくして、アメリカ側の朝鮮南部統治の責任者としてGHQ最高司令官のダグラス・マッカーサーが就任する。マッカーサーはアメリカに亡命していた独立運動家の李承晩を後押しし、アメリカ側に大韓民国を建国。大統領となった李承晩だが、共産主義に対する恐怖に取り憑かれていた彼はやがて、武力によって北側の共産主義者を打ち倒そうと考えるようになる。一方、北側では抗日ゲリラであったソ連軍人、金日成がソ連の後押しで指導者に就任。彼もまた武力による朝鮮半島の統一という野望を抱き、1949年にはモスクワでスターリンと対面。金日成は国内に眠るウランを提供する引き換えにソ連製の武器を大量に手に入れた。金日成を通じてウランを手に入れたソ連は、同年8月29日に核実験を成功させる。こうして、ソ連も核の力を手にすることとなった。

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1950年6月25日。ソ連製の兵器を手にした北朝鮮は南側へと侵攻し、朝鮮戦争が勃発する。第二次世界大戦当時の貧弱な武装しか有していなかった韓国軍は北朝鮮軍の猛攻に為す術もなく敗北し、わずか3日で首都・ソウルは火の海となる。事態を重く見た国連は軍の派遣を決定し、38度線まで北朝鮮軍を押し戻すことを決定。国連軍の司令官にはマッカーサーが就任し、東京から指揮を執ることになった。日本に駐留していた米軍を中核とした国連軍は朝鮮半島へと上陸するが、核という究極の兵器を手にした米軍は緩みきっており、満足な訓練も受けていなかった兵士たちは敗北を重ねる。国連軍は朝鮮半島南端の釜山にまで追い詰められ、韓国は国土の大半を失陥した。

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朝鮮戦争の勃発により、アメリカは日本の占領政策を大きく転換させる。在日米軍のほとんどが朝鮮半島に出払ってしまったため、マッカーサーは日本独自の軍事力として警察予備隊を創設。これに続き、マッカーサーは日本を共産主義の防波堤とすべく、1万人以上の公職追放を解除。A級戦犯として巣鴨プリズンに収監されていた岸信介も1952年に政界へと復帰し、後に反共主義勢力を国内に築き上げていくことになる。

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1950年8月。マッカーサーは劣勢を覆すため、ソウルに隣接する仁川への上陸作戦を計画する。北朝鮮軍の背後に上陸した部隊と釜山に展開する部隊で北朝鮮軍を挟撃する作戦だったが、世界有数の干満差がある仁川への上陸は至難の業だった。内部から猛反対の声が挙がる中でマッカーサーは作戦を強行し、激戦の末9月15日に部隊は上陸を果たす。9月28日にソウルは奪還されたが、街中には北朝鮮軍により虐殺された人々の死体が溢れていた。

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勝利を手にしたマッカーサーだが、それには飽き足らず38度線を越えて進軍し、北朝鮮軍を撃滅するという野望を抱くようになる。北進を続ける国連軍は北朝鮮東部で強制収容所を開放するが、そこには新興宗教の教祖であった文鮮明という男が囚われていた。国連軍によって開放された彼は国際勝共連合という政治団体を各国に立ち上げ、日本では勝共連合発起人となった岸信介との関係を深めていった。

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国連軍が進軍を続ける中で金日成はスターリンに軍の派遣を求めたが、アメリカとの核戦争を懸念したスターリンは要求を拒否する。国連軍は1950年10月に北朝鮮北部に到達し中国との国境である鴨緑江まで目前に迫るが、そこには38万に及ぶ中国の義勇軍が息を潜めていた。前年に建国を果たしたばかりの中国を率いる毛沢東はアメリカに戦いを挑むことで国際社会での存在感を高め、同時に国民党の敗残兵を戦場に送り込むことで効率よく始末しようと考えていたのである。11月25日、中国義勇軍は鴨緑江を渡って国連軍を急襲。圧倒的な大軍を前に国連軍は撤退を余儀なくされ、軍人としてのプライドを傷付けられたマッカーサーは激怒する。マッカーサーは本国にソ連と中国の都市を26発の核兵器で攻撃する許可を求めたが、第三次世界大戦の勃発を危惧したトルーマン大統領はマッカーサーを解任。こうして、マッカーサーは日本から去ることになった。

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朝鮮戦争は日本に朝鮮特需をもたらし、赤字が続いていたトヨタ自動車を破産の危機から救うなど日本経済が復活を遂げる起爆剤となる。その立役者であるマッカーサーの人気はアメリカでも絶大で、マッカーサーの解任を巡ってトルーマン大統領率いる民主党の人気は凋落。1952年の選挙では代わって共和党のドワイト・アイゼンハワーが大統領に就任する。アイゼンハワーは第二次世界大戦でノルマンディー上陸作戦を指揮した軍人で、マッカーサー同様に朝鮮戦争集結のためには各攻撃も辞さない姿勢を見せていた。同じ頃、アメリカが水爆の実験に成功したことを知った毛沢東はこれを口実としてスターリンに核兵器の製造法を教えるよう求めたが、スターリンは中国に核の力を授けることなく1953年に死去する。スターリンの死を契機にソ連では朝鮮戦争の休戦を求める声が高まり、1953年7月27日には休戦協定が調印される。合計で500万人以上が犠牲となった戦争で朝鮮半島が手にしたのは、わずかに傾いた国境だけだった。

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休戦後も朝鮮戦争に関わった各国の不和が止むことはなかった。金日成はアメリカへの勝利とアメリカに協力した日本への憎悪を声高に喧伝し、ソ連は1953年8月12日に水爆実験を実施。1964年10月16日にはソ連の技術供与を受けた中国も核実験に成功。ソ連崩壊後にはウクライナの技術者を取り込んだ北朝鮮も核開発に着手し、現在に至るまで核実験とミサイルの発射を繰り返している。朝鮮戦争が勃発した当時、世界に374発存在した核兵器は年々その数を増やし続け、現在は12705発の核兵器が世界に散らばっている。核の力を求め、それによって職を追われたマッカーサーは退任式の演説で次のような言葉を残している。「私は今生きている誰よりも戦争については知っています。これほど嫌悪すべものはほかにありません。しかし、一旦戦争が我々に押し付けられれば、これを迅速に終わらせるために使えるすべての手段を使う以外に選択肢はありません」。

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(エンディング)
エンディング

エンディング映像。

次回予告

映像の世紀 バタフライエフェクトの次回予告。

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