2024年10月3日放送 23:50 - 0:35 NHK総合

映像の世紀バタフライエフェクト
太平洋戦争 日米プロパガンダ戦

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(オープニング)
今回は…

今回は太平洋戦争の日米プロパガンダ戦を特集。

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わたし達はこんなに働いているマイ・ジャパン太平洋戦争日本の悲劇正義
オープニング

オープニング映像。

(映像の世紀バタフライエフェクト)
太平洋戦争 日米プロパガンダ戦

1940年の日本のカラー映像が流れた。この頃、銀座には日本映画社があり、それは政府による情報統制を容易にするためだったという。日本映画社のニュースは全国の劇場で上映されており、当時は劇映画と一緒にニュース映画も上映することが義務付けられていたという。そのため日本ニュースは戦争のプロパガンダの一翼を担っている状態だった。その後、日本の奇襲によってアメリカは怒り、日本に宣戦布告することになり、アメリカもプロパガンダ戦に総力をあげることになった。その役割を担ったのがハリウッドだ。フランク・キャプラは敵国の映像を集めて再編集し兵士たちに情報を伝え、さらに映画を戦時国債販売の道具にしたという。

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キャロル・ランディスフランク・キャプラ国債はいかが?太平洋戦争戦争中のショービジネス日本映画社銀座(東京)

日本は戦況の悪化を伏せていたが、アッツ島の戦いで守備隊が全滅したと発表したという。そこで兵士たちの死を「玉砕」という玉のように美しく砕け散ると表現した。また心理戦ではラジオの国際放送も大きな役割を果たしていた。そこで最も効果を挙げたのが「ゼロ・アワー」というラジオ番組で、多くのアメリカ人がDJの女性のファンになったという。こうしたことからアメリカではこのDJの女性への注意喚起する映画も出たという。

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アイバ・トグリ・ダキノアッツ島ゼロ・アワーチャールズ・カズンズ太平洋戦争日本放送協会真実の声谷萩那華雄

戦争は激しさを増していたがアメリカ国民の関心は政府が期待するほど高まってなかった。そのためアメリカ政府はアメリカ兵の遺体が映った映画を出して、一般国民から巨額の戦費を集めた。日本では特攻隊の隊員の言葉をラジオで流していた。

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ノーマン・ハッチ太平洋戦争海兵隊と共にタラワへ私が見たタラワ

アメリカはこの頃、大量破壊兵器の原爆の開発を進めていた。1945年8月にアメリカは原子爆弾を投下した。そして終戦を迎えた。戦争後にジョン・ヒューストンは戦争の恐怖を伝える映画を出そうとしたが、軍によってフィルムが押収されたという。公開が許されたのは35年後のことだ。一方で日本のプロパガンダを担ってきた日本映画社は戦後の翌年に「日本の悲劇」を公開し、当時の報道が偽りだったことを明らかにした。またラジオDJだった日系アメリカ人女性はアメリカへの反逆罪で収監された。その後、アメリカの刑務所で服役し釈放され、2006年に90歳で亡くなった。

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(エンディング)
エンディング

エンディング映像。

次回予告

「映像の世紀バタフライエフェクト」の次回予告。

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