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東ドイツには治安組織のシュタージが存在し、一般市民も監視対象にされていたという。また密告制度があり、妻や夫、子どもが親を密告することもあったという。
オープニング映像。
1945年にドイツは無条件降伏した。この時にナチ政権への反逆罪で投獄されていたエーリッヒ・ホーネッカーが開放された。のちに東ドイツの最高指導者になる人物だ。ドイツは4つの戦勝国に分割統治され、ドイツは東西に分断された。1949年5月に西ドイツ、1949年10月には東ドイツがそれぞれ建国された。ただ東ドイツから西ドイツに亡命する人が相次ぎ、それを防ぐためにベルリンの壁が建設された。それでも東ドイツへの亡命が相次いだことから、国家保安省のシュタージが国民を監視するようになり、国民から密告者も集めたという。
ベルリンの壁は人口流出を防ぎ、東ドイツの政治や経済を安定させた。そのため給料も上がるようになり、トラバントという自動車もでてくるようになった。また東ドイツは国際社会で存在感を示すためにスポーツに力を入れるようになり、カタリーナ・ヴィットもそうしたスポーツエリートの一人だった。その後、東ドイツは西ドイツと国交を結び、西ドイツとの入国規制も緩和された。一方でシュタージの監視も強まり、あらゆる手段で監視された。東ドイツはオリンピック モントリオール大会で多くのメダルを獲得したが、女性選手は当時ドーピングしていたと後年語っている。
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1984年のオリンピック サラエボ大会にカタリーナ・ヴィットは初出場して優勝した。金メダルを取ったことで優遇されるようになったがシュタージの監視は厳しくなった。カタリーナ・ヴィットはオリンピック カルガリー大会でも優勝してさらなる特権を得た。ただ東ドイツでデモが広がっていき、その責任を取って1989年10月18日にホーネッカーは解任された。そして1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊し、1990年10月3日に東西ドイツが統一された。
その後、シュタージの監視記録が本人に公開された。監視記録を見た女性は「監視記録の閲覧は拷問のようだった」と語っている。他にもドーピング被害にあっていた元選手たちも裁判を起こした。統一から35年経過した現在も、旧東ドイツ地域は西ドイツ地域と比べて平均年収が2割低い。カタリーナ・ヴィットは現在、ベルリン近郊でスポーツスタジオを経営している。
エンディング映像。
映像の世紀 バタフライエフェクトの次回予告。