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名シーンがよみがえる! 青春ドラマソングラインキング・第3位は’75年放送ドラマ「俺たちの旅」の主題歌「俺たちの旅/中村雅俊」。第2位は’83年放送ドラマ「ふぞろいの林檎たち」の主題歌「いとしのエリー/サザンオールスターズ」。第1位は’79年から放送ドラマ「3年B組金八先生」の主題歌「贈る言葉/海援隊」。
昭和の愛が重すぎるドロドロ恋愛ソングをアンケートでランキング化。第10位は島津ゆたか「ホテル」(’85)。第9位は中条きよし「うそ」(’74)、作詞 山口洋子・作曲 平尾昌晃のゴールデンコンビ。
昭和の愛が重すぎるドロドロ恋愛ソング第7位はテレサ・テン「愛人」(’85)。ウエディングドレス姿で歌った歌唱映像を紹介。第6位は杏里「悲しみがとまらない」(’83)。友達に恋人を奪われた女性の気持ちを歌った失恋ソング。
昭和のドロドロ恋愛ソング第5位はSugar「ウエディング・ベル」(1981年)。日野美歌は「重い」と言われて別れることがあると語った。
昭和のドロドロ恋愛ソング第2位は小林明子「恋におちて-Fall in Love-」(1985年)。ドラマ「金曜日の妻たちへIII」の主題歌だった。
1960&70年代の男性アイドルを紹介。御三家と呼ばれた橋幸夫は高校2年生だった1960年に「潮来笠」でデビュー。当時日本レコード大賞には新人賞がなく、この曲の人気によって創設された。吉永小百合とのデュエットソング「いつでも夢を」(’62)も大ヒット。1963年に「高校三年生」でデビューした舟木一夫は60年代のブロマイド売上No.1。行きつけだった銭湯にファンが殺到し女湯が大混雑したという。1964年にデビューして一躍人気アイドルになった西郷輝彦の代表曲といえば「星のフラメンコ」(’66)。観客がしていた手拍子を振付として採用し定番化した。1966年にビートルズが来日すると日本のアイドル界で「グループサウンズ」が流行。日本最初のバンドブームだった。ザ・スパイダースのメンバーとして活躍した堺正章は71年に「さらば恋人」大ヒット。曲と同時期に放送されたドラマ「時間ですよ」で俳優としても活躍した。元ザ・タイガースの沢田研二はコンサートで失神者が続出したという。ソロ6枚目のシングル「危険なふたり」(’73)はグループ独立後初のオリコン1位を獲得した。演歌歌手でデビューしたにしきのあきらは「空に太陽がある限り」(’71)でアイドルとして大人気になった。
男性アイドルヒストリーを紹介。1971年に「スター誕生!」が放送開始。人気のバロメーター“ブロマイド”が70年代で一番売れたのが西城秀樹。西城秀樹の4か月後にデビューしたのが郷ひろみ。大人気雑誌「明星」で表紙の登場回数は70年代1位、通算29回だった。
男性アイドルヒストリーを紹介。西城秀樹・郷ひろみと共に新御三家と呼ばれたのが野口五郎。小学生時代から「ちびっこのど自慢荒らし」として活躍。「甘い生活」(’74)が大ヒット。1980年には「たのきん」が大ブレークして黄金時代となった。
口説き口説かれる男と女のムード歌謡ランキングTOP10を発表。アンケートで選ばれた第10位は黒沢明とロス・プリモス「ラブユー東京」(’66)。第9位はザ・ピーナッツ「ウナ・セラ・ディ東京」(’64)。第8位は敏いとうとハッピー&ブルー「よせばいいのに」(’79)。
オープニング映像。
東京都世田谷区の公園で植物の管理を担当している清水一郎さんの幸福時間は「金継ぎ」。壊れた器を漆で繋ぎ、金粉をまぶす修復技法。金粉は福井県の漆屋から取り寄せている。器の素材や色に合わせてやっている。金継ぎは待つ時間が多く、焦らず作業するのが難しいという。
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私の幸福時間の次回予告。
男と女のムード歌謡ランキング7位は石原裕次郎「ブランデーグラス」。この曲は「西部警察」で歌われたことで大ブレイク。
真田ナオキらが内山田洋とクール・ファイブ「そして、神戸」を披露。
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石丸幹二と日野美歌が小林幸子・美樹克彦「もしかしてPARTII」を披露。
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