- 出演者
- 木村多江 池田鉄洋 徳永えり
オープニング映像。
木村多江らが怪談について語り合った。小泉八雲の妻・セツを描いた連続テレビ小説「ばけばけ」が放送中。
- キーワード
- 小泉セツ小泉八雲連続テレビ小説 ばけばけ
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の人生を紙芝居で紹介した。1850年にギリシャの小島でアイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれた。幼い頃に両親が離婚し、アイルランドの大叔母の元で育った。乳母から聞かされたおとぎ話で精霊などに興味を惹かれ、アニミズムの価値観を持つようになった。16歳の時に左目を強打して失明。1869年にアメリカへ渡り、新聞記者として働き始め、ニューオーリンズで多様な民族が融合したクレオール文化に魅了された。日本最古の歴史書「古事記」を読み、1890(明治23)年に来日。横浜で咲き誇る桜を見てアニミズムの感覚が蘇った。
小泉八雲についてスタジオトーク。アメリカの西洋社会から逃げ出した末にたどり着いたのが日本だった。
- キーワード
- 小泉八雲
小泉八雲の著書「知られぬ日本の面影」には原点となった出会いが記されている。英語教師の職を得て島根県松江市に向かった八雲は途中の鳥取県下市で宿泊。妙元寺の境内では盆踊りが行われていて、祖先を大切にする日本人の心を見た。八雲が書いたことから「ハーン踊り」と呼ばれるようになり、今も受け継がれている。
小泉八雲が英語教師として赴任した島根県松江市では数多くの伝説・怪談が語り継がれている。松江観光協会が行っている松江ゴーストツアーの語り部・佐藤夕子さんに案内してもらい、徳永えりが怪談ゆかりの地を巡った。最初に訪れたのは国宝・松江城。築城当時に何度積み上げても崩れてしまう石垣があったという。盆踊りの際に一番美しく踊りも上手だった娘が攫われて人柱にされてしまった。それ以来、盆踊りを行うと天守が揺れて城下に災いが起きると言い伝えられるようになり、現在も松江城の近くでは盆踊りが行われていない。続いて訪れたのは大雄寺。近くに水飴を売っている飴屋があった。昔は乳が出ない母親は子どもに水飴を与えていて、夜ふけになると飴を買いに来る女がいた。ある夜、手招きする女の後を飴屋がついて行くと、女が墓の前で姿を消した。墓の下から赤ちゃんの声が聞こえたので、墓を開くと、女の亡骸の横に元気な赤ちゃんがいて、水飴が置いてあったという。八雲は「母の愛は死よりも強し」と記している。
小泉八雲がアメリカ南部で出会ったスイーツ「アップルカスタード」がスタジオに登場。出演者たちが試食した。八雲は集めた膨大なレシピを本にまとめている。
- キーワード
- アメリカ
没落武士の娘で貧しかったセツは1891年2月に風邪で伏せていた小泉八雲の家に女中として住み込むことになり、後に2人は結婚した。松江には2人が暮らした家が当時のまま残っている。八雲は失明した左目に加え、右目も強度の近視だったため、机面が極端に高い特注の机で執筆した。八雲の机を再現したものが展示されている。セツは地域に伝わる怪談を八雲に聞かせてサポートした。耳なし芳一を執筆していた時には襖越しに「芳一」と呼びかけて雰囲気を演出したという。八雲のひ孫・凡さんに話を聞いた。
徳永えりが出雲大社を訪れた。小泉八雲が読んで憧れた古事記に描かれている日本誕生の神話の舞台。八雲は神職以外は入れない本殿に外国人として初めて昇殿を許された。将軍から奉納された刀や勾玉を目にし、巫女舞で日本人の心を体感した。八雲は13年後に「日本 一つの解明」を書き上げた。日本の信仰や精神文化を古代からの歴史を通じて分析し、第二次世界大戦の惨禍を予言していたという。
戦後に小泉八雲の作品はGHQの准将として日本の戦後処理に深く関わったボナー・フェラーズの手に渡った。日本人の精神の根幹には“祖先崇拝”があり、天皇の祖先神を祀る信仰が天皇や皇室への敬愛の念として根付いていると理解したフェラーズはマッカーサーに「天皇が退位すれば日本は混乱する。天皇の力を民主的に生かすべき」と提言した。八雲の平和を愛する心が日本の繁栄をもたらした。
- キーワード
- ダグラス・マッカーサーボナー・フェラーズ
