- 出演者
- 佐藤二朗 片山千恵子 河合敦
今回は伊達政宗を特集する。
- キーワード
- 伊達政宗
オープニング映像。
伊達政宗の人生から、番組では3つの危機に着目した。最初は南奥州連合軍との激闘。
- キーワード
- 伊達政宗
南奥州連合軍は伊達政宗の妻の実家である田村氏に進撃した。伊達軍は田村氏の救援に向かうと思いきや、途上で向きをかえて北進。連合軍の一角を担う相馬義胤の領地を襲撃した。相馬軍は急いで引き返すと、伊達軍は福島市にあった大森城に入った。その間、蘆名義広に味方する猪苗代氏の調略に成功。危機感を覚えた蘆名軍は領地へ戻っていった。伊達軍は夜を徹して険しい山道を移動。体格のある農民を戦の前に選抜していたことで、道を整備させ、兵糧などの運搬も任せていたという。摺上原の戦いで伊達軍は蘆名軍と相まみえ、圧勝をおさめた。
蘆名軍は伊達政宗に敗北し、1日にして城も領地も失った。摺上原の戦いの結果は連合軍に大きな衝撃を与えたといい、伊達の妻の実家も無事だったという。だが、手に入れたばかりの会津を豊臣秀吉に没収されてしまう。
豊臣秀吉は伊達政宗の領地にある金・銀山を手中に収め、伊達氏の領地は北へと移された。だが、そこでは土の中に金が含まれていた。すると、秀吉は豊臣家の直轄地にした。翌年、金山で働く職人たちが大規模な一揆を起こすと、鎮圧したのは伊達氏だった。秀吉は伊達に管理を任せることになるのだが、伊達家に仕えた白石家に残る史料を紐解くと、一揆を起こすよう仕向けたのは伊達政宗だったという。
秀吉の直轄地で起こった一揆のほかにも、陸奥国でも一揆が発生。伊達政宗が領地を獲得するため、地侍や農民らを煽動したとされる。豊臣秀吉が死去した翌年、伊達の娘と徳川家康の六男が婚約。関ヶ原の戦いでは東軍につき、伊達は勝利に貢献する。
伊達政宗の小姓が書き残した記録によると、徳川家康は仙台を攻めるよう命じていたという。そこで伊達軍は阿武隈川を堰き止め、幕府軍の足止めに成功。その後、家康の側室の1人からの書状が伊達政宗のもとに届けられた。政宗は仙台を出立し、駿府城にて徳川家康と謁見。家康は政宗が謀反を起こすという讒言に乗せられたといい、駿府まで来た政宗を信頼することとなった。
豊臣秀吉が天下統一を着実に進めるなか、東北地方は群雄割拠の状態。生き残るための策略が必要で、河合氏は伊達政宗が調略に長けていたのも納得できるという。なお、政宗は多趣味だった。
「歴史探偵」の次回予告。