- 出演者
- 浜田雅功 ヒロド歩美 上原浩治 松岡修造 高橋尚子 古田敦也
今回のアスリートについて浜田は「オリンピックの時の放送センターの中でご挨拶した」などとコメントした。ゲストは松岡修造。
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オープニング映像。
修造と浜田の出会いはトリノオリンピック。松岡修造の人生幸福度のグラフを紹介した。浜田はグラフを見て「こんなに100並んでいる人見たことない。100以外は全部-100。両極端」、修造は「100じゃないときってあったんですか?」などと話した。松岡修造は東宝の社長である父と宝塚歌劇団の母の間に生まれた。修造は親について「違うっていう感覚をあまり持たせるような親ではなかった」、テニスを始めたきっかけは「姉がテニスをしていた。水泳の練習がキツかった。テニスは最も自分に向いていたなと思うことは人に嫌なことをする」などと話した。中学校3年生では身長が164cm、体重が74kgで足が遅かったという。高校進学後にテニスを放棄。グラフは100と-100だった。麻雀にハマってしまったという。修造は「ラケットは持っていってるけど握るのは牌」などと話した。浜田はテニス放棄を+70に設定した。
修造は高校2年で福岡・柳川高校に転校した。修造は「入ったら自分の性格が変われると思った」と話した。柳川高校に編入後4カ月後に行われたインターハイで3冠を達成した。高校3年で休学。バングラデシュの国際大会で修造は決勝まで進み、ボールボーイ、ボールガールと仲良くしていたこともありお客さんにとても応援してもらったという。修造は「僕はコートで幸せでした」、「自分一人じゃないよ。しかもバングラデシュで。子どもたちが抱きつきにくる」などとコメントした。
松岡修造は高校を中退しアメリカへ。ボリス・ベッカーやゴラン・イバニセビッチなど世界のトップ選手を指導したボブ・ブレッドと出会う。修造の父は男兄弟のうち1人は好きにしていいだろうと諦め、母はいつも反対していたという。修造はアメリカの大学に行くと約束して説得したが、大学へ行かずプロに転向した。大学に行く予定だったがボブが「プロの試合に出たら」と言われ、大会に挑戦。ATPポイントを獲得しプロ転向を決めた。ボブに「100%テニスだけでチャレンジしたら5年間でランキングの100位に入れるかもよ」と言われたという。
過去放送回の未公開エピソードを放送する。
古田敦也が、師匠である野村克也監督の現役時代についてトーク。古田が、肩やキャッチングは僕のほうが上だと語った。古田敦也が、野村克也監督は選手に全力疾走しろと言っていたが、現役時代には全力疾走しないこともあったと語った。古田敦也が、野村克也監督のイチロー攻略の秘策と失態について語った。古田が、野村監督の凡ミスで会議が無駄になったことがあると語った。
高橋尚子が、シドニー五輪の代表に内定されたときのエピソードを語った。高橋は、名古屋国際女子マラソンの直前に胃潰瘍と胃痙攣で病院に運ばれたが、小出義雄監督の指示で激痛を隠して走った。
21歳の時に世界ランク100位入りをした。世界ランク100位に入ると予選なしでメジャーな大会に本戦からストレートインで挑戦できる。ボブコーチからは100位入りは5年かかると言われていたが2年で達成した。達成した場所は日本の有明、推薦で出場すると相手は日本の選手で勝つことができた。次にアメリカの選手や世界7位の選手と戦ったが、相手選手の負傷で勝つことができた。その後ジョン・マッケンローとの試合中、マッケンローとすれ違った際にジャンピングアタックをしてきたが、松岡はマッケンローが怖がっているぞと思い「ここまで来た」と勘違いしていたと話した。
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松岡修造が、現役引退後の幸福度について語った。修造チャレンジでの松岡修造の映像を紹介。松岡はトリノ五輪のスタッフルームで、本番のイメージトレーニングをしていた。トリノ五輪は13日目終了時点で日本勢はメダル獲得がゼロだった。松岡は、番組スタッフを鼓舞するメッセージを紙に書いて、壁に貼った。松岡は、東京五輪の公式応援団長に就任した。松岡が、応援は選手にとって勇気を届けるものだと語った。
浜田雅功が、松岡修造とトークした感想を語った。
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