- 出演者
- 石原良純 小泉孝太郎
今回は100年以上一度も猛暑日を記録していない千葉県勝浦市を目指しながら千葉県の空を大冒険。
良純・孝太郎はヘリに乗って勝浦に向かう。東京ディズニーランドなどのを上空から見た。利根川と周囲に湿地がある地形によって千葉県に熊は移住してこなかったという。
千葉県は県境の利根川周辺が広大な湿地帯でエサもなく熊が身を隠す場所が少なかったため、熊が入ってきづらい地形。北部は他県と陸続きだが平野が多い。他県の熊生存地域は千葉県から遠い。広範囲の市街地を経由しないと千葉県に来られない。約1000年前、千葉県北部は大きな海が広がっていて、縄文時代にはいまより海面が2~3m高く房総半島はほぼ海に囲まれ島に近い状態だったという。
ヘリは成田方面に向かった。成田空港に飛行機が着陸する様子などを見た。利根川に沿って銚子に向かった。利根川の河口などを見た。
ヘリは勝浦に向かった。屏風ヶ浦、九十九里浜を見た。勝浦沖は水深が急激に深い地形で、海底の冷たい水が表面に上がり海風が冷やされるという。勝浦の街に上は雲が湧いていた。
良純・孝太郎は勝浦にやってきた。勝浦が涼しい理由の1つ目は、水深が深く水温が低い勝浦沖を通る冷やされた海風。もう1つは街を囲む森。木々は空気中に水分を発散しヒートアイランド現象を和らげる。勝浦は100年以上猛暑日ゼロを記録する涼しさを誇っている。千葉は海の方から人が来て文化が来たという。勝浦城は戦国時代に勝浦をおさめた正木氏の居城で、落城の際に逃げた娘のお万の方は光圀公のおばあちゃん。良純・孝太郎は朝市を目指して歩いた。
良純・孝太郎は勝浦朝市にやってきた。最初の頃の朝市は魚と野菜を交換していたという。最盛期は200軒以上のお店が連なった。良純は干物を買いたかったが痛風の発作が出てしまったという。
良純・孝太郎は勝浦朝市にやってきた。孝太郎は弟の進次郎に間違われた。はちみつの直売所でアクリルたわしをもらった。わらび餅が楽しめる「南蛮屋」は1日600食以上出る人気店。「SPAiCE COFFEE」でコーヒーを味わった。
良純・孝太郎は勝浦タンタンメンを食べに「御食事処 いしい」にやってきた。
- キーワード
- 御食事処 いしい
良純・孝太郎は勝浦タンタンメンを食べに「御食事処 いしい」にやってきた。勝浦タンタンメンは辛味で漁師・あまさんの冷えた体を温める料理として定着した。B-1グランプリで優勝して人気になった。勝浦タンタンメンの店は勝浦市内に30店舗以上。店内には「勝浦大漁まつり」の写真があった。砂浜から神輿を担ぎ港にいる船に神輿を渡していた。明治から昭和30年代にかけて勝浦は県内一の海水浴場で湘南のような存在だった。
良純・孝太郎は勝浦の海に魅了されて移住してきたデインさんの案内で海に出た。デインさんがおすすめする勝浦の絶景ポイントを紹介。めがね岩は長年の潮風と波によって巨大岩が空洞になった。岩を削った人工生簀もある。海の中にはウミガメもいる。
八幡岬は象や猿が飼育されていたという。遠見岬神社は江戸時代初期、慶長の津波により社殿が流されて鳥居だけが残っている。遠見岬神社の本殿は朝市近くの高台に建て直された。
良純・孝太郎は遠見岬神社にやってきた。神武天皇の時代に四国から房総へ渡った天富命を祀っている。開運祈願のお水取りの場所としても賑わっている。ひな祭りの時期は60段の階段に約1800体のひな人形が飾られる。
遠見岬神社を上空から見下ろすと、かつうら海中公園海中展望塔や行川アイランドの跡地が見えた。鯛の浦は通常水深約30~150mに単独生息する真鯛が水深約10~30mで群れる。日蓮聖人の誕生とともに無数の真鯛が出現したと言われる。国の特別天然記念物にも指定されている。なぜ鯛が浅瀬で群れるかは解明されていない。
ヘリから鴨川シーワールドのシャチを見ることができた。仁右衛門島は約800年に渡って一族で島を守り続ける友人離島。石橋山の戦いで敗れた源頼朝の身をかくまったという伝説が残されており、現代の島主は39代目だという。房総半島最南端に建つ野島崎灯台も見た。洲崎では海越しの富士山が見えるという。沖ノ島は四方を海に囲まれていたが砂が堆積し歩いて渡れる無人島として南房総国定公園に指定されている。黒潮の影響で水温が高く、房総半島では珍しいサンゴが育つ海が広がっている。
オープニング映像。
新潟県上越市の菊谷紀道さんはケーブルテレビ会社の管理職でコンサートなどの企画や社員の使用などを担当している。菊谷さんの幸福時間は「忍者の殺陣」。上杉謙信に仕えた忍者集団をモデルに6人ほどに指導する。
私の幸福時間の番組宣伝。
ヘリは館山の上空を飛んだ。館山城は「南総里見八犬伝」ゆかりの地。以前に江の島から見た富山も見ることができた。鋸山の「地獄のぞき」に手を振った。マザー牧場に向かった。
