- 出演者
- 中居正広 劇団ひとり 田中卓志(アンガールズ) ヒコロヒー
オープニング映像。
今回は「モノマネ」。8人の芸人が語った。
笑いのジャンルの1つ「モノマネ」芸。起源はいくつかあり、江戸時代には力士や行司を一人でまねる「ひとり相撲」や歌舞伎役者の声をまねる「声色遣い」が活躍した。昭和初期、声色を声帯模写と名付けたのはコメディアン・古川ロッパ。声帯模写はラジオ文化の発展と共に人気を博した。テレビの時代となり歌モノマネが主流となり、80年代に現れたのがコロッケ。モノマネに笑いを取り入れブームを作り上げた。モノマネブームを支えた四天王にはそれぞれ個性が際立っていた。コロッケの芸風は後に続く芸人に強烈なインパクトを与えていた。
人気番組「ものまね王座決定戦」の常連だった松村。歌マネ全盛の時代に自らのポジションを見つけられずにいた。その後、四天王の1人からかけられた言葉が「自分の声があってモノマネやんなきゃダメだ」で忘れられないという。
モノマネ界のスター・コロッケにも転機となった言葉がある。所ジョージ・タモリ・赤塚不二夫の前でネタ見せした後「似てるけど面白くないよね」と言われたという。笑えるモノマネとは何か、試行錯誤を繰り返したどり着いたのは「その人がやりそうでやらないこと」。そしてコロッケはモノマネ芸人として初めて紅白に出演した。
劇団ひとりは「本人の向こう側までいっちゃう。笑わせたのはすごいこと。コロッケさんがいなかったらモノマネの流れも変わっていた」などと語った。
現在のモノマネ界をリードする1人・原口あきまさ。ウリであるしゃべりモノマネの極意について「それぞれに間があり大事。その人がそこにいる雰囲気を味あわせたい」などと語った。代名詞のネタはとあるオーディションで生まれた。その後、タモリのモノマネをするコージー冨田と組みしゃべりもよりに磨きをかけた。そんな原口のしゃべりモノマネを研究し尽くしたのが今、松本人志のモノマネで人気のJP。コロナ禍の2022年1月、JPが松本で原口が東野の大約に抜擢され世の中をわっと言わせた。原口の勢いに対しJPは動きで答えたという。令和のモノマネ界に現れたスターJP、しゃべりモノマネの先輩として原口は「ようやくこの人のマネをやった人。壁をどう乗り越えるかで存在が輝いてくる」などと語った。そして原口は「ご本人さんを超えていると褒められるが、そんはない。どっかで偽物ぽさがないと笑えない」などと核心に迫った。
劇団ひとりは「胡散臭さはある。それが面白い」などと語った。JPは山根のモノマネをしスベっているところを見た田中は消えていくと思っていたが「絶対いつか完成させるので」と話していたという。
モノマネを武器にするお笑い芸人・博多華丸。レパートリーは川平慈英・児玉清の2本。一躍有名にした児玉清のネタは楽屋での遊びから生まれた。ローカルタレントとして人気だった博多華丸・大吉。しかし30代に入りキャリアの伸び悩みを感じていた。飛躍のきっかけになったのは「細かすぎて伝わらないモノマネ」。披露したネタはアタック25でだんだん投げやりになる児玉清。同じ番組から火がついたキンタロー。は当時人気絶頂だったアイドルのモノマネで挑んだ。現在、キンタロー。のモノマネレパートリーは200以上で大物俳優から海外の天才少女まで独特の芸風でモノマネの可能性を広げ続けている。霜降り明星・せいやは実力派漫才師でありながらモノマネを巧みに操る。きっかけは中学時代に大ウケした経験からだった。狙うのはあくまで笑い。ロバート秋山のモノマネといえば体モノマネ。始まりは先輩芸人からひと言だった。それまでの芸風から一歩踏み出し体モノマネを形にしたところ大ヒット。何度かのバージョンアップを経て鉄板ネタとなっている。そして秋山はモノマネを起点にさらなる発明に挑戦。クリエイターズ・ファイルでは様々な職業の架空のキャラを生み出している。いわば想像モノマネである。
「人はなぜモノマネで笑ってしまうのか?」質問した。せいやは「権威を茶化せる。偉い人なら偉い人ほどウケやすいモノマネになる」などと答えた。秋山は「もともとみんな違う人間」などと語った。博多華丸は「ちょっとしたデフォルメ。歴史上の人物にちょっと落書きしたら面白い」などと答えた。コロッケは「別の生き物でいい。その人じゃないから気になる」などと語った。
- キーワード
- 麻生太郎
ヒコロヒーは「モノマネは最もセンスのいる芸なのかも」などと語った。中居は「発見を僕たちに教えてくれているのか」などと語った。劇団ひとりはSNSでモノマネが拡散する時代だと語る。
エンディング映像。