- 出演者
- -
オープニング映像。
YMOのメンバー、高橋幸宏氏、坂本龍一氏が23年に死去した。高橋氏はボーカリストやファッションデザイナーとしても活躍し、坂本氏は日本人として初めてアカデミー賞作曲賞に輝いた。番組では2人の足跡をたどる。
高橋幸宏氏は兄の影響で小学生時代にドラムを叩き始めた。ビートルズに憧れる一方、ファッションデザインにも関心を持ち、武蔵野美術大学に進学した。在学中、サディスティック・ミカ・バンドに参加し、イギリス公演を成功させる。現地のメディアで大きく取り上げられ、日本でも話題になるだろうと期待するも、空港に誰もいなかった。バンド解散後、高橋氏はソロデビューを果たす。
坂本龍一氏は三島由紀夫、水上勉らを世に送り出した編集者の父、デザイナーの母を持ち、小学生の時に通ったピアノ教室で音楽の面白さに目覚めた。東京藝術大学の在学中からスタジオミュージシャンとして活動し、大学院修了後、ソロデビューを果たす。
1978年、坂本龍一氏、高橋幸宏氏は細野晴臣氏とYMOを結成。シンセサイザー、コンピューターを駆使したサウンドで一世を風靡した。高橋氏は「坂本くんは努力型の奇才、細野晴臣という人は天才。僕はただの凡人。ドラマーだったから一応、太鼓持ち」と振り返っている。2nd アルバムでミリオンヒットを記録し、ワールドツアーも成功させる。高橋氏はファッションデザイナーとして、YMOの衣装を担当した。ファッションにとどまらず、3人の生き方まで注目された。83年、YMOは解散。
坂本龍一氏は大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」に出演。出演オファーに対して、「映画音楽をやらせてくれるなら」と提示すると、大島監督は快諾。その後、ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画「ラストエンペラー」にも出演した。映画音楽の制作期間は約2週間で、ほぼ不眠不休で作った。イタリア人スタッフが激賞し、アカデミー賞作曲賞などに輝いた。世界各地の民族音楽に着目するなど、好奇心のままに音楽活動をしていった。
高橋氏は様々なミュージシャンとコラボし、東京スカパラダイスオーケストラとは「WATERMELON」を発表。
2001年、坂本龍一氏は世界同時多発テロ事件を目の当たりにし、「平和なしに音楽は楽しめない」と痛感したという。環境問題、脱原発などに注力し、身の回りや自然の音は美しいと自ら録音してまわった。坂本氏は活動を続けるなか、「まだまだ高い山は無数にある。やってないこともたくさんある。自分ができることがいかに小さいか、見えるようになってきた」と吐露。
高橋氏は細野晴臣氏とsketch showを結成し、のちに坂本龍一氏も参加。坂本氏は「同じように年をとっていっているけど、刺激的なことをもとめる姿勢が変わらないどころか、ますます強くなっているような気がする、2人は」と話していた。高橋氏は「自分を突き動かすのは新しいものの発見」、坂本氏は「老いてますます過敏、そういう人になりたい。収まるのがいちばん嫌です」などとコメント。
エンディング映像。