2025年9月15日放送 10:51 - 11:20 NHK総合

謎解きドキュメント ツイセキ
“消えた”西郷写真

出演者
田辺誠一 
(オープニング)
今夜は…

明治維新の立役者である西郷隆盛の写真は本当の顔ではないという。弟といとこの顔を半分ずつモデルに描かれた肖像画であった。それを元に立てられたのが上野の銅像だが妻の糸はこんな人じゃなかったという。坂本龍馬・大久保利通・高杉晋作と明治維新の中心人物たちが写真を残す中、西郷隆盛の写真がないのは今でも納得できないことである。だが驚くべき情報として西郷隆盛が写真を写していたとのことだった。

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オープニング

オープニング映像が流れた。

”消えた”西郷写真
ふるさと鹿児島に手がかりは?

西郷隆盛の故郷で薩摩藩だった鹿児島。まずは町中の高台にある西郷像へ。軍服をまとった威厳のある顔はどこかおっとりした上野の銅像とは顔つきが違った。町で聞き込みを続ける中で浮かび上がったのは町一番と言われる西郷通の若松宏さんである。子供の頃から独学で西郷を調べ、ありとあらゆる資料を集めてきた。写真はないが西郷の実像に迫る秘蔵の品があるという。西郷隆盛の親戚であるトクの昭和27年に西郷について語った音声が残されていた。トクは若松さんの曽祖母であり、親族で大切に保存してきた音源はテレビ初公開だという。キセルでこめかみをかく癖があり、髪が抜け落ちていたとのこと。一方で本当は目が細かったともあり、馴染みのある顔も本物とは違うのだろうか。西郷は30歳のとき、志を共にした僧侶・月照が追われる身となった際自殺を図っていた。奇跡的に生き残ったが、一度は死んだ身として進んでカメラに立ち写真を残そうとはしなかったはずである。一方、同じ郷里の友である大久保利通に写真を送るとの約束があったという。

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子孫から発見なるか?

福岡に住む諫山尚子さんは西郷隆盛の玄孫である。去年・一昨年と相次いで新たな写真が見つかったという。撮影場所はドイツで写っていたのは留学中だった息子の寅太郎・甥の隆準・弟の従道であった。また第一子の菊次郎と末っ子の酉三の写真もあり、酉三の写真が見つかったのは初めてであった。さらに西郷家にまつわる資料が次々と出てきた。そこで「西郷隆盛の写真はないのか?」を聞いてみると見せてもらった写真は一度もなく、一説に言われているのは暗殺を恐れていたからとのこと。

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写真を求めて取材を進めると西郷とゆかりの深い地域が浮かび上がってきた。鹿児島県日置市は明治6年、征韓論をめぐる対立から新政府の職を辞し鹿児島に戻った西郷が兎狩りと温泉を楽しみに来ていた町である。さらに明治10年、西南戦争が勃発するとこの町に妻子を避難させていた。その日置に今も西郷の子孫が住んでいる。西郷隆盛のひ孫にあたり薩摩焼の陶芸家として現代の名工にも選ばれている西郷隆文さんである。アトリエには西郷にまつわるいわくつきの写真が飾られていた。明治元年ごろ撮影された通称・フルベッキ写真である。佐賀藩の集合写真だが過去には坂本龍馬や高杉晋作、そして中央には西郷隆盛が写っているといわれたこともある。話を聞くと以前、地元の学校で西郷らしき写真が見つかったと話題になっていたという。当時写真を見たという人に集まってもらって話を聞かせてもらい、どんな写真だったのか記憶を辿って書いてもらった。それはこれまでこれまで噂になったどの写真とも違っていたという。

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早速明治9年に開校したというその小学校へ行くと、出てきたのは明治時代の学籍簿であった。続いては今は就労支援施設として使われている元中学校へ。まだ開けてない金庫があるというが、中を開けると何も入っていなかった。

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山形の集落で追跡調査

鹿児島から山形へ行き、やって来たのは鶴岡市の松ヶ岡集落。明治維新で西郷率いる新政府軍と戦った庄内藩の土地である。西郷は敵方だったが肖像画は飾られていた。しかも集落56戸のうち7割の家で飾られている。なせ西郷と敬うのか集落の理事長である堀誠さんに話を聞くと、戊辰戦争で庄内藩は降伏を余儀なくされたが西郷の取り計らいもあり新政府は厳しい処分を下さなかったという。西郷の懐の深さに強く心を撃たれた藩士たちだがその思いを伺い知れる記録があった。庄内では元藩士70名以上を派遣し、西郷という大人物からこれからの国造りを学ぼうとした。そのアルバムは元藩士の末裔の家で発見されたものだった。中には西郷の側近中の側近であった別府新介や桐野利秋の貴重な写真もあった。元藩士の方々に写真を探したいと伝えたところ、明治5年に集落ができて以来の貴重な品を集めた場所へ案内してくれた。そこにあった金庫を開け、箱の中には大量の写真があった。明治初期、元藩士たちは刀をクワに持ち替え生糸やお茶を生産するための開墾に着手。数十万本の木を切り、土地を切り開く過酷な日々を送っていた。さらに探索を続けると西郷の手紙と記された箱が出てきた。書かれていたのはお茶の栽培を始めた松ヶ岡の人たちにお茶の名前の案で6つを送っていたという。古新聞の包みを開けると、出てきたのは画像が焼き付けられた金属板で銀板写真と似ていた。どこかに西郷の姿が写り込んでいないか探すと肖像画を金属板に写したものしか見つからなかった。

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”消えた”西郷写真

追跡の結果を西郷写真を研究している専門家に改めて伝えた。そこで話を聞くと「可能性としていちばんあるのはアメリカ」とのことで、明治4年に岩倉使節団がアメリカへ向かう際に西郷隆盛は明治天皇について横浜港まで行っていて何社か外国の新聞社がいたため写真を撮っている可能性はあるという。

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