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渋谷のシンボルになっているハチ公の100年を大発掘。ハチ公ゆかりのみなさんとともにエピソードから紡ぐハチ公100年のヒストリーを紹介。
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- ハチ公
ハチは大正12年、秋田県に生まれた。飼い主は上野英三郎博士で出張で渋谷駅を使うたび、ハチは送り迎えをしていた。博士の家は駅まで歩いて5分のところでこの辺りの道を通っていた。そんな中、博士は突然亡くなったがハチは駅に通い続けた。今回集まったのは渋谷生まれ・渋谷育ちでハチ公の銅像を守ってきた星野さんと大西さん。ハチの故郷・秋田・大館からは街の観光に携わっている工藤さんと畠山さん。上野博士とつながりがある東京大学の学生。愛犬家の照英さん、郷土博物館の松井学芸員。星野さんの母はハチと博士が歩いているのを見たことがあると言っていたという。
渋谷駅に通い続けるハチが世間に知られ始めたのは昭和7年に掲載された新聞記事がきっかけ。渋谷駅にはハチ公見たさに多くの人が集まった。JR渋谷駅にはハチ公の記録が残されており、渋谷駅に全国から送られて来たハチへの手紙のほか歴代駅長がハチの様子を語り継いできた。中でも8代目の吉川忠一駅長は熱心にハチ公の面倒を見ていたという。またハチ公にあやかったチョコレートやクレヨンなどのグッズも登場。昭和9年に行われた銅像建設資金を集めるためのイベントには3000人もの観客が集まり、ハチ公が生きているうちに銅像が完成。除幕式でハチ公が動いている様子の映像が公開された。
渋谷区郷土博物館の松井学芸員の夢はハチ公の映像のカラー化。博物館の資料にはハチ公の毛がある。そこでAIを利用してカラー化した動くハチ公の映像を公開。そして昭和10年にハチは息を引き取った。渋谷駅にはハチが亡くなった様子も記録に残っていた。ハチの葬儀は吉川駅長が弔事を読み多くの人がハチの死を悼んだ。松井学芸員はスペインかぜや戦争など暗い状況の中でハチ公が亡くなった上野先生を待ち続ける気持ちと自分の誰かへの会いたい気持ちを重ねることで身近に感じて人気になっていったのではないかと話した。
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- ハチ公吉川忠一渋谷区郷土博物館文学館
ハチの死から2年後の昭和12年、日中戦争が勃発。そして昭和18年、国は資源を補うため金属類回収令を出し、ハチ公像も回収された。昭和20年、渋谷は焼け野原となった。そんな中、昭和23年に2代目ハチ公像が誕生。その後、テレビ放送が始まるとハチ公像は度々ニュースに映り込むように。年に1回、慰霊祭も行われるようになり昭和59年には上野博士の銅像も運ばれ対面を果たした。
平成4年、ハチ公像の前では待ち合わせ時間を証明するサービスがスタート。平成6年にはハチ公の歌「もう待たなくていいんだよ」も完成。ハチ公が生まれた秋田・大館でも多くの映像資料があった。そんな中、昭和62年に映画「ハチ公物語」が作られた。同年、大館に2代目ハチ公が誕生。これをきっかけにハチ公の慰霊祭が毎年行われるようになった。さらに生誕祭も行われるように。平成12年には渋谷と大館の交流もスタート。
平成21年にはハリウッドリメイク版「HACHI 約束の犬」が公開され世界でも知られるように。同年、大館では大文字焼きの文字を「犬」にする行事も行われたが、すごい怒られたという。ハチ公の人気が広まるにつれハチ公像が各地に登場。ハチ公像はいつしか愛情を込めた飾り付けをされるようになった。没後80年の2015年には東京大学に新しい銅像が設置された。そして去年、ハチ公は生誕100年を迎えた。畠山さんはハチ公を通して自分の世界も広げてもらったので、それを子どもたちに伝えていきたい。大西さんはますます大事にしなきゃいけないと話した。
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