- 出演者
- 所ジョージ 佐藤栞里 尾形貴弘(パンサー) 田中圭 菅良太郎(パンサー) 釈由美子 向井慧(パンサー)
3組目は女子大生2人組。片方の女子大生は昨日誕生日だったという。その女子大生が花束を渡す相手は母親。明音さんは反抗期には母・和美さんと喧嘩が絶えず、多くの苦労をかけてきたという。その夜、明音さんと合流。和美さんを呼び、花束を渡して手紙を読んだ。和美さんはプレゼントをもらったのも、この子が初めてなので嬉しいと話した。
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- 渋谷(東京)
この企画ではランダムに3桁の数字を決め、苗字ランキングでその順位にあたる人たちの中からスゴい人を探し、勝手に褒め称える。今回の苗字は「原口」。2012年開催の「特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」とは昭和から平成初期の特撮の技術を紹介し、全国で約62万人を動員した巡回型展覧会。スタッフは修復師と呼ばれる原口智生さんに取材をした。この日はメカゴジラというロボット怪獣の頭部の修復作業をしていた。今年3月、日本の作品として初めてアカデミー賞・視覚効果賞を受賞した映画「ゴジラ-1.0」。視覚効果はVFXと略される。VFXとは撮影した映像にコンピューターで加工を施したもの。一方、1984年公開の映画「ゴジラ」の東京湾や発電所は全てミニチュア。
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1984年公開の映画「ゴジラ」の東京湾や発電所は全てミニチュア。特撮カットと本編カットを編集して映画をつくっていた。映画本編の監督が監督、特撮主体のカットの監督は特撮監督・特技監督と呼ばれていた。スタッフは原口智生さんが修復した特撮のパラダイスがあると聞き、福島・須賀川市にある「須賀川特撮アーカイブセンター」やって来た。ロゴのデザインは庵野秀明が監修している。原口智生さんは庵野秀明・樋口真嗣と長い付き合いだという。このセンターには昭和30年代から近年に至るまでの数々の映画やテレビで使われたミニチュアが収蔵してある。一番気合を入れた修復作品が万能戦艦「マイティジャック」。マイティジャックとは1968年に放映された特撮ドラマ。
特撮ファンの庵野秀明・原口智生・樋口真嗣。この3人の人生はどのように絡まっていったのか。原口智生さんは1960年5月26日生まれ、庵野秀明は1960年5月22日生まれ、樋口真嗣は1965年9月22日生まれ。1960年代、少年たちが夢中になっていたのは「ウルトラマン」。原口智生さんは親戚が東宝の録音技師をしていたため、5歳の時に初めて東宝の特撮撮影所に足を踏み入れた。子どもの頃に始まった壊れたミニチュアの収集癖が現在の仕事・修復師として実を結んだ。中学生になっても特撮愛は止まらず、怪獣倶楽部という特撮を研究する団体に15歳で参加。怪獣倶楽部は特撮専門書などの出版物も手がけ、特撮の魅力を世に広めた。映画「シン・ウルトラマン」のクレジットの資料協力には怪獣倶楽部メンバーが名を連ねている。17歳の時、原口智生さんは見習いアクション俳優として特撮に出演もしていた。高校生の原口智生さんは先輩俳優に頼まれて特撮美術の世界に入った。
原口智生さんは未経験ながら「スターウルフ」のミニチュアセットを制作した。次に頼まれたのは特殊メイク。参考にしたのが1968年公開の映画「猿の惑星」。ゴム製造会社に勤務し、特殊メイク法に辿り着いた。映画「プルシアンブルーの肖像」では特殊メイクを担当した。特殊メイクアーティストとしての代表作は実相寺昭雄監督作の映画「帝都物語」。この作品でブリュッセル国際ファンタスティック映画祭のスペシャル・メイクアップ・コンペティションでグランプリを受賞した。庵野秀明・樋口真嗣との出会いもこの頃だったという。ある日、原口智生さんは庵野秀明・樋口真嗣が関わっていた映画「王立宇宙軍 オネアミスの翼」の制作スタジオに招かれた。原口智生さんは映画監督もやっており、何本かで樋口真嗣に特撮部分の監督を頼んでいる。この頃には庵野秀明も含め、3人揃って特撮好きという付き合いも始まっていた。1995年、樋口真嗣はガメラ制作にあたって原口智生さんに怪獣造型を依頼した。1作目の映画「ガメラ 大怪獣空中決戦」ではガメラのぬいぐるみを制作。4年後の映画「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」では顔つきが全く違うガメラを制作。結果、平成ガメラ三部作は日本特撮映画の最高峰とも呼ばれることになる。1995年、原口智生さんは「新世紀エヴァンゲリオン」の試写に呼ばれた。
1995年、原口智生さんは「新世紀エヴァンゲリオン」の試写に呼ばれた。庵野秀明が原作・監督のアニメーション作品。その後、原口智生さんは特殊メイクを引退。ウルトラマンシリーズの特技監督を頼まれるも飽きてしまい引退。引退後はミニチュアの修復作業を始めたが、あくまでも個人的な趣味。
「上田と女が吠える夜」の番組宣伝。
「ぐるナイ」の番組宣伝。
映画「あの人が消えた」の告知。
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- あの人が消えた
2009年夏、原口智生さんは庵野秀明から誘われた特撮関係者が集う飲み会で修復済みのミニチュアをみんなに見せた。3年後、「館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」が開幕。副館長は樋口真嗣、展示品の約4割は原口智生さんが修復したものだった。結果は全国で約62万人を動員。展示の目玉は「マイティ号」。2011年、東日本大震災で原口智生さんの工房が壊れ、完成が危ぶまれたが、なんとか間に合ったという。2020年、須賀川特撮アーカイブセンターが設立された。原口智生さんはマイティジャックもウルトラマンも映像を作るための部品。その映像が何で出来上がっているのかという証拠品だと話した。3人はCG主体となった現在もモノを作っている。映画「シン・ウルトラマン」では銀一色のウルトラマンが登場。これはウルトラマンの雛形に原口智生さんが銀色だけを着色。それを見た庵野秀明は「これもいいね」と言って採用した。6月、すかがわ特撮塾では地元の子どもたちが第一線で活躍する講師から特撮の撮影を学んでいる。
4組目は3人組の家族。母親は27歳の娘と7歳の娘をもつ。母親が花束を渡す相手は娘2人。頑張って生まれてきてくれてありがとうと言って渡した。27歳の娘と7歳の娘は産んでくれてありがとうと話した。
「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」の次回予告。