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介護のため仕事を辞めた夫と、認知症の妻。番組では、この夫婦の3年間に密着。
大阪・西淀川区に暮らす藤井康弘さん。若年性認知症の妻・三恵子さんと2人で暮らしている。診断されたのは6年前のこと。自由に歩けるため介護認定は下から2番目の「要介護2」。老人ホームは3以上が対象で入所できず。夫はこれまで仕事との両立を模索してきたが、妻の徘徊がひどくなりやむを得ず退職。体調管理や入浴には訪問看護などのサービスが欠かせない。費用は月3万円程度。
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- 西淀川区(大阪)
若年性認知症の妻の介護のため退職した藤井康弘さん。退職金で今後2~3年は保つ見込みだが、それ以降どうなるかは不透明な状況。こうした介護離職のは社会問題になっていて、今も年間10万人ほどがこれを余儀なくされている。関連法案が改正されたのは今年4月になってから。「これがあったら辞めずに済んだ?」との質問に、藤井さんは「どうしてもフルタイムではできない」「社会がそこまで許容しますかね」など指摘。
若年性認知症の妻の介護のため退職した藤井康弘さん。結婚して30年余り。妻は穏やかな性格で聞き役に回ることが多く、康弘さんにとって安心できる存在だった。現在はトイレにも1人で行けないほどに。康弘さんが介護の辛さを語っていると、横で聞いていた妻は「大変ですね」「私がいなくなったらどうするの」など話していた。
若年性認知症の妻の介護のため退職した藤井康弘さん。料理は康弘さんが担当。「手間暇かけて作って食べてもらえなかったら腹立つ」と、カップラーメンを出すことが多い。この日は大晦日。家族と離れて暮らす1人娘が帰ってきた。過去には、母のそばにいるために仕事を辞めようと考えたことも。今でも費用面など心配しているそう。
若年性認知症の妻の介護のため退職した藤井康弘さん。取材2年目の24年6月、康弘さんに癌が見つかった。手術しなければ命が危ないと宣告された。自ら「僕も嫁も社会的にはいらない存在 重荷にしかなっていない」など話し、妻の介護を続ける意味について「最後は情」など話した。結局、手術のため3週間入院。この間、妻は施設で過ごした。
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- 大阪国際がんセンター大阪城
若年性認知症の妻の介護のため退職した藤井康弘さん。取材2年目の24年6月、康弘さんに癌が見つかった。手術は無事終えたが、左腕を動かしにくくなった。それでも要介護認定は下りず。日本で高齢者施設が増えたのは戦後になってから。当時の田中角栄首相は福祉に手厚い国家を目指したが、オイルショックで経済が傾いたことを契機に一転。同居する家族を介護の担い手と位置づけるようになった。介護保険にかかる総費用は年々増え続けていて、入所条件が厳しくなるなど制度変更も続いている。
若年性認知症の妻の介護のため退職した藤井康弘さん。康弘さんが通院で家を空けることが増えると、日中に限って妻を施設に預けるように。康弘さんは、自身の負担が減り妻との関係が良くなったと話す。かつては家族3人での旅行が恒例だったが、今年は康弘さんと娘だけで旅。その間、妻は施設で過ごした。
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- 高知市(高知)
若年性認知症の妻の介護のため退職した藤井康弘さん。「要介護認定2」を受けて5年。変化がないかを確認するため、調査員が訪れた。妻の状態の確認のほか、夫への聞き取りも実施。
若年性認知症の妻の介護のため退職した藤井康弘さん。要介護認定「2」を受けてから5年、妻の要介護認定が「3」に格上げされ、特別養護老人ホームへの入所基準を満たした。しかし康弘さんは、在宅介護を続けることにした。「介護は終わりが見えない」とよく言われることに関連して、「介護はいつまでも続く」「終わるのはどっちかが死んだ時」など話した。