2023年12月3日放送 0:25 - 0:55 テレビ東京

FOOT × BRAIN
【秘蔵映像で振り返る金子勝彦と三菱ダイヤモンドサッカー】

出演者
都並敏史 勝村政信 竹崎由佳 川淵三郎 
(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

今日の内容の説明

元テレビ東京アナウンサーの金子勝彦。日本初のサッカー専門番組 三菱ダイヤモンドサッカーは、解説・岡野俊一郎との名コンビで20年間のロングラン。金子のサッカー実況のキャリアは40年以上。その功績から2012年には日本サッカー殿堂入りも果たした。そんな金子が2023年8月23日永眠。金子の言葉は、川淵のJ開幕宣言にも大きな影響を与えていた。更にレジェンドたちへのインタビューも。今夜は偉大な足跡をたどる。

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(FOOT × BRAIN)
スポーツ実況アナが遺した偉業 今夜蘇る!伝説のサッカー番組

ブレインはJFA相談役の川淵三郎。金子と川淵の親交の始まりは、川淵の現役時代まで遡る。都並敏史は中学生のときからダイヤモンドサッカーを見出していて、代表選手になったときに遠征先にいらっしゃってお話する機会があった、君はハツラツとしてていいよ、みたいに乗せてもらったという。日本初のサッカー専門番組 三菱ダイヤモンドサッカー。1968年放送開始。海外リーグや日本代表の試合を前半後半と2週に分けて放送した。本場の熱狂を日本に届けた。川淵はあるところで、日本の代表の監督とコーチを2人でやればと言ったことがあるくらい、いろんな知識を語ってくれたという。1974年W杯西ドイツ大会決勝 西ドイツ対オランダの試合、ヨハン・クライフとフランツ・ベッケンバウアーという2大スターの攻防戦。そんなワールドカップを日本で初めて生中継したのが金子勝彦。

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懐かしの名実況をプレイバック

愛があり味がある金子の実況。1979年ワールドサッカー 日本リーグ1部選抜vsFCアムステルダムの試合の実況を紹介した。金子の伝説の名実況を振り返る。23歳の都並も出場した試合から金子の代名詞とも言えるワンツー・リターン。それまでは壁パスと言われていたが、世界の表現に近づけるために金子が生んだ。テレビ東京退社後はオフィス ワンツー・リターンを設立。今では当たり前のループシュートという言葉を日本で初めて使った。さらに時代とともになくなったキーパーへのバックパス。1992年にバックパスのキーパーキャッチが反則になった。また選手をより引き立てる表現も金子の実況の醍醐味。木村和司について、木村柔軟なドリブル、腰の低い見事なドリブルでした、などと表現していた。海外サッカーの情報収集が困難だった時代。金子の下調べは入念だった。41年前の国立競技場では名選手の引退試合も実況。ベッケンバウアーの引退試合は、今では考えられない最悪のピッチコンディションで、日本代表のユニフォームも泥だらけ。だがこの大雨だからこそのスーパープレーも生まれた。さらに別の試合では、ピッチはまるで田んぼ。豪雨でも声援を停めないサポーターへ感謝を口にしていた。

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日本サッカーを変えた”あの言葉”

勝村はアラン・シモンセンという選手が、チップキックをしたときにチップキックと金子さんが言ったのが衝撃で、次の日から中学生はみんなチップキックで足を痛めていたと話していた。金子の影響はJリーグチェアマンになる川淵にも。1993年Jリーグが開幕。その宣言の裏側を初告白。川淵は、Jリーグの開幕のときにスポーツを愛する多くのファンの皆様に支えられまして、といったが、スポーツを愛するはサッカーを愛するから来ていると明かした。川淵は自分と同じ時代に生きてきた金子さんだから思いがひとしおだったとも話していた。

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初中継での思わぬハプニング

川淵がテレビで初めて解説した試合も実況は金子だった。川淵は初めてコメンテーターとしてテレビ東京の番組に呼ばれたがテレビ東京がストライキをやっていて幹部だけで中継の作業をしていたという。

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レジェンド直撃!激レア海外取材

サッカー実況の草分け、金子勝彦の足跡。ここからは膨大な海外取材からお宝VTRを放送。ヨーロッパリーグ日本人プロ第一号となった奥寺康彦(当時 SVヴェルダー・ブレーメン)のパーティーのゲストには尾崎加寿夫(当時アルミニア・ベーレフェルト)、キャプテン翼の原作者の高橋陽一、さらに金子の姿があった。遠い海の向こうで活躍する日本人選手の姿を伝えてきた金子。Jリーグ誕生前、プロ化に対して金子が引き出した奥寺の言葉は、日本サッカーの未来そのものだった。それから数年後、ジーコやストイコビッチなど海外のレジェンドが躍動したJ草創期。Jリーグの成長に大きく貢献した。奥寺は、金子のついて、残した功績はすごく大きいと思う、僕も感謝したい、などとコメントした。

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1984年ブルネイ ロサンゼルス五輪予選に向けた練習。オリンピック予選に向けた日本代表の練習に密着していた金子。オリンピックを目指す代表にダイヤモンドサッカーは名将からエールを貰っていた。日本サッカー界初の外国人コーチのデットマール・クラマーは、「日本サッカーが大きく発展していることは知っている」「日本代表がロサンゼルス五輪に出場できることを強く臨んでいる」などとのコメントをしていた。スタジオにはプロ2年目を控えたヤングカズも登場。サッカーにひたむきな姿勢は同時から変わっていなかった。1986年のW杯 メキシコ大会。金子は多くの伝説を作った大会期間中に、神の子・マラドーナのインタビューも敢行していた。マラドーナは、周囲がいいアドバイスをくれる、チームメイトにはとても恵まれている、日本のファンの期待に応えられるような結果を残すよ、と話していた。

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(エンディング)
日本サッカー界へのメッセージ

語ることで日本にサッカーの種を巻き続けた男、金子勝彦。2011年9月に金子が番組に出演した際、FOOT×BRAINにくれたメッセージを紹介。金子は「サッカー番組がたくさんできることは悪いことではない みんなに見てもらえる愛に溢れた魅力的な番組をぜひ続けてほしい」などと話していた。FOOT×BRAINもずっとサッカーを愛し続けることを誓って…。金子勝彦さん ありがとうございました。

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