2024年3月20日放送 23:55 - 0:45 NHK総合

NHKスペシャル
古代史ミステリー 第1集 邪馬台国の謎に迫る

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古代史ミステリー 謎の女王 卑弥呼とヤマト王権

日本の黎明期に君臨した邪馬台国の女王・卑弥呼。未だ多くの謎を残す彼女の姿に最新の考古学から迫った結果、浮かび上がってきたのは宿敵・狗奴国の存在と卑弥呼が描いた東アジアを舞台にしたグローバル戦略。その死に際して卑弥呼が下した決断は、古代日本を大きく動かしていくことになる。

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卑弥呼
古代史ミステリー 第1集 邪馬台国の謎に迫る
最新調査 卑弥呼はどこにいたのか?

中国の歴史書「魏志倭人伝」にその名が登場する女王・卑弥呼。彼女が率いたとされている邪馬台国を巡っては未だ多くの謎が残っており、その位置さえ明らかになっていない。外交面では中国に使者を送って「親魏倭王」の称号を得た卑弥呼だが、その死後に台頭してきたヤマト王権とのつながりも謎に包まれている。

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卑弥呼邪馬台国魏志倭人伝

日本史上屈指の謎とされている「邪馬台国の位置」。江戸時代から多くの論争が交わされる中で、現在は近畿説と九州説の2つが有力とされている。九州説の根拠の一つとなっているのが弥生時代の集落跡としては国内最大規模の吉野ヶ里遺跡の存在だ。近年、吉野ヶ里遺跡では10年ぶりに発掘調査が行われ、新たに発見された石棺墓の棺から無数の線刻が見つかった。これは宗教儀式との関連が指摘されており、「魏志倭人伝」において卑弥呼が「鬼道」という宗教儀式を用いる巫女として君臨していたこととの関連がみられる。同時代の中国では道教が「鬼道」として扱われており、卑弥呼の時代に同じような儀式が行われていた可能性が高いという。

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佐賀県卑弥呼吉野ヶ里遺跡邪馬台国

一方、近畿説の舞台となる近畿地方でも新たな発見があった。奈良県の纏向遺跡では東西2km・南北1.5kmに及ぶ巨大な集落の痕跡が見つかっており、中央に存在していたとされる宮殿に卑弥呼が住んでいたという可能性が指摘されている。最新の年代測定を用いた結果、遺跡から発掘された木材は231年に伐採されたものであることが判明。これは「魏志倭人伝」において卑弥呼が「親魏倭王」の称号を受けたとされる239年に極めて近い年代だ。さらに、纏向遺跡の南側には全長200mに及ぶ巨大な前方後円墳「箸墓古墳」が存在する。「魏志倭人伝」では卑弥呼が247年頃に亡くなったとされているが、この箸墓古墳が建造されたのは240年から260年代頃とされており、状況からみて「箸墓古墳は卑弥呼の墓である」とする説が浮上している。

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女王 卑弥呼 誕生の舞台裏

「魏志倭人伝」によれば、当時の日本は「倭国」と呼ばれる小国の集合体で、それぞれに王が存在していたという。そうした王たちが共同で擁立したのが卑弥呼だった。時の権力者が女性である卑弥呼を擁立した理由を解き明かす手掛かりとなるのが、日本各地の遺跡から発見されている受傷痕のある人骨だ。こうした人骨からは当時の倭国が戦乱の只中にあったことを伺うことができる。当時の気候データはこの時代の日本列島が異常気象に見舞われていたことを示しており、こうした争いは食糧不足を原因としたものであると考えられている。こうした時代の中で、戦乱に対処するために小国の王たちは卑弥呼を頂点とする「邪馬台国連合」を西日本に結成したとみられ、互いに牽制しながら共存しようと考えていたという説が出ているのだ。箸墓古墳のような前方後円墳はこの「邪馬台国連合」のシンボル的なものであったとも言われている。

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卑弥呼青谷上寺地遺跡魏志倭人伝鳥取県

この説を元にすれば、卑弥呼は実権を持たない祭り上げられた存在に近いことになる。こうした立場で諸国の王を纏めるのは容易ならざることだったが、それに加えて宿敵・「狗奴国」の存在も卑弥呼を悩ませた。狗奴国は前方後方墳をシンボルとする勢力であったと言われているが、この前方後方墳の分布は東海から東北にかけて集中している。この狗奴国は鮮やかな色彩が特徴の「パレススタイル土器」など、独自の文化圏を形成していたとみられる強敵だった。この狗奴国に対抗するために卑弥呼が取ったのが「魏志倭人伝」にも記されているグローバル戦略だ。

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卑弥呼×三国志 秘められたグローバル戦略

卑弥呼のグローバル戦略の手掛かりとなるのが青谷上寺地遺跡から発掘された人骨だ。この遺跡から発掘された人骨のDNAは縄文人と漢民族のDNAの間にあり、これは両者の間で混血が進んでいたことを示している。こうした交流の原因と指摘されているのが同時代の中国で起こっていた戦乱。当時の中国は三国志の時代に突入しており、戦火を逃れた難民たちが海を渡って倭国にやって来たとみられている。こうした人々の移動と同時に、日本には数々の新技術が持ち込まれた。その一つが鉄製の鏃といった最新鋭の武器だ。これらを手にしたことで、邪馬台国と狗奴国の戦いはさらに激しいものとなった。

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卑弥呼狗奴国邪馬台国青谷上寺地遺跡

こうした状況下で卑弥呼は大陸で最大の人口を有する魏に使者を送り、魏を味方につけることを目論んだ。邪馬台国とは比べ物にならないほどの国力を有していた魏に対し、卑弥呼は魏・呉・蜀の三国の対立関係を巧みに利用して対抗する。当時、孫権率いる呉は海上から魏へと攻め込む足場とするために倭国へと接触を図っており、この状況は卑弥呼が魏と取引をするまたとない材料となった。倭国は地政学的に魏、呉両国の安全保障上重要な位置にあり、これを背景に卑弥呼は魏から破格の支援を引き出すことに成功。これにより与えられたのが、「親魏倭王」の称号と金印だった。

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卑弥呼×狗奴国 古墳が明かす争いの行方

「親魏倭王」の称号を得た卑弥呼だが、狗奴国との戦争を終わらせることはできなかった。邪馬台国と狗奴国の戦いの行方は未だに明らかになっていないが、その結果を解明する手掛かりとなるのが邪馬台国のシンボルとされている前方後円墳の分布だ。AIを活用した最新の古墳探査を実施した結果、それまで狗奴国のシンボルである前方後方墳が多いとされてきた東海・東北地方で複数の前方後円墳が発見された。こうした前方後円墳は卑弥呼の時代が終わって以降に東海・東北地方に広がっており、この事実からは前方後円墳をシンボルとする勢力が東日本へと版図を拡大していったことが伺える。

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卑弥呼大安場1号墳奈良文化財研究所小野町(福島)狗奴国

4世紀を機に逆転していった両者の関係を解き明かす手掛かりとなるのが箸墓古墳に秘められている。堅牢かつ巨大な箸墓古墳はそれまでの日本にはみられなかった最新鋭の土木技術で構築されたものと考えられており、その技術をもたらしたのは大陸からの渡来人であったと考えられている。彼らがもたらした複数の土と粘土を積み重ねる「盛土」は雨や衝撃に対して非常に高い耐性を持っており、この優れた土木技術は気候変動の激しい当時ににあって大きなアドバンテージになったであろうことは予想に難くない。こうして倭国の勢力図が書き換わっていく中、卑弥呼は3世紀半ばに没する。彼女の没後、代わって台頭してきたのが「ヤマト王権」という勢力。このヤマト王権の有力者は大仙陵古墳に代表される前方後円墳に葬られているが、これは卑弥呼の墓であり邪馬台国のシンボルとされるものと同じだ。そこから浮上している仮説の一つには「卑弥呼はヤマト王権の最初の王であった」というものもあるが、いずれにせよ真相は古代の闇の中に眠っている。

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(エンディング)
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