卑弥呼のグローバル戦略の手掛かりとなるのが青谷上寺地遺跡から発掘された人骨だ。この遺跡から発掘された人骨のDNAは縄文人と漢民族のDNAの間にあり、これは両者の間で混血が進んでいたことを示している。こうした交流の原因と指摘されているのが同時代の中国で起こっていた戦乱。当時の中国は三国志の時代に突入しており、戦火を逃れた難民たちが海を渡って倭国にやって来たとみられている。こうした人々の移動と同時に、日本には数々の新技術が持ち込まれた。その一つが鉄製の鏃といった最新鋭の武器だ。これらを手にしたことで、邪馬台国と狗奴国の戦いはさらに激しいものとなった。
こうした状況下で卑弥呼は大陸で最大の人口を有する魏に使者を送り、魏を味方につけることを目論んだ。邪馬台国とは比べ物にならないほどの国力を有していた魏に対し、卑弥呼は魏・呉・蜀の三国の対立関係を巧みに利用して対抗する。当時、孫権率いる呉は海上から魏へと攻め込む足場とするために倭国へと接触を図っており、この状況は卑弥呼が魏と取引をするまたとない材料となった。倭国は地政学的に魏、呉両国の安全保障上重要な位置にあり、これを背景に卑弥呼は魏から破格の支援を引き出すことに成功。これにより与えられたのが、「親魏倭王」の称号と金印だった。
こうした状況下で卑弥呼は大陸で最大の人口を有する魏に使者を送り、魏を味方につけることを目論んだ。邪馬台国とは比べ物にならないほどの国力を有していた魏に対し、卑弥呼は魏・呉・蜀の三国の対立関係を巧みに利用して対抗する。当時、孫権率いる呉は海上から魏へと攻め込む足場とするために倭国へと接触を図っており、この状況は卑弥呼が魏と取引をするまたとない材料となった。倭国は地政学的に魏、呉両国の安全保障上重要な位置にあり、これを背景に卑弥呼は魏から破格の支援を引き出すことに成功。これにより与えられたのが、「親魏倭王」の称号と金印だった。