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オープニング映像。
オープニングトーク。今回は有馬記念の歴史に刻まれた物語を振り返っていくとのこと。
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1988年4月に北海道・新冠郡にある長浜牧場で生まれたトウカイテイオーは1984年に無敗で三冠を達成したシンボリルドルフを父に持ち、父子2代の無敗三冠への期待が高まっていたが、1992年の有馬記念以降ケガとの戦いの日々が始まる。度重なるケガでトウカイテイオーの存在は忘れ去られつつあり、1993年の有馬記念では当初は来る来ないも論じられなかったという。しかしトウカイテイオーは大方の予想を覆して1着でフィニッシュした。レース後は16万84人の観客がテイオーコールを行った。
村上さんはトウカイテイオーについて「ケガしてもひたむきに頑張る姿がアスリートにも通ずるものがある」などと話した。志らく師匠は当時トウカイテイオーの単勝の馬券を握っていたという。
1988年。立川志らくはアルバイトすら禁止され、飢えと寒さに苦しんでいた。そんな中、談志の知り合いに連れて行かれた競馬場でオグリキャップと出会う。1987年、地方競馬の笠松でデビューしたオグリキャップは12戦10勝という圧倒的な強さを見せ、翌年には中央競馬に移籍。その年の有馬記念まで勝利し、空前の競馬ブームを巻き起こした。志らくのヒーローだったオグリキャップ。数少ない楽しみの1つになったが、貧乏だった志らくには常に1番人気のオグリキャップは買えない馬だった。そんなオグリキャップの栄光にも翳りが。オグリキャップの引退レースとなった1990年の有馬記念。その時志らくはパドックでオグリキャップを見て、まだ光り輝いていると感じ、生まれて始めてオグリキャップの単勝を10000円分購入したという。オグリキャップは勝利。オグリキャップが伝説となった瞬間だった。志らくが向かったのは立ち食いそば。そこで念願の肉そばを食し、オグリキャップのおかげでこんなに美味いそばを食べたことがない、と感じ通うようになったという。あれから35年。今でも肉そばを食べるという。
あなたのアリマミー賞は。「ダイワスカーレット・ダイワメジャーの兄妹を押しのけて勝ったマツリダゴッホ」「蛯名さんのガッツポーズが忘れられない」といった声を紹介した。2007年、三連単800,880円の大波乱。
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2023年12月24日の有馬記念では名コンビの武豊氏とドウデュースの名コンビが復活した。この年の有馬記念から約2か月前に行われた秋の天皇賞ではレース当日に武豊氏が馬に蹴られて負傷し、ドウデュースに乗れずに終わった。ドウデュースはそのデビュー戦から全レース武豊氏とコンビを組んで走ってきていて、この日相棒を失ったドウデュースは7着でレースを終えた。その1ヶ月後のジャパンカップでも武豊氏は騎乗できず、ドウデュースは4着に終わった。武豊氏としても悔しい思いでレースを観戦し、有馬記念の1周間前に復帰を果たした。迎えた有馬記念では1着でゴールをし、名コンビの復活を見せつけた。
売り上げ875億円を記録し今尚ギネス世界記録として残る1996年の有馬記念。その馬券を買うために人生をかけた男の本当にあった物語。当時、林修は馬券を買うため長野~上野まで行き授業までに戻ってくる時間は7時間だった。無事に馬券を買い長野に戻り授業を行い、テレビで試合を見届けた。結果は、武豊騎手のマーベラスサンデーが2着に入り大当たりを逃した。武豊騎手からメッセージで「いい思い出になって良かったんじゃないですか?」等と話した。
林先生は「基本の流れはあってるけど、タクシーは故障もしてない」等と話した。電車の時刻は本当にギリギリだったという。翌年1997年も長野新幹線で往復したという。
数々の感動の物語を生み出してきた有馬記念。第70回という節目を迎える。一番人気はレガレイラだろう。C.ルメール騎手が乗る。シンエンペラーは結果を残していない。坂井瑠星騎手がシンエンペラーに乗る。岡田紗佳は、ジャスティンパレスを推すという。有馬記念が引退レースになる。
プチ鹿島さんは「涙の逃亡者 メイショウタバル」という物語だという。メイショウタバルは逃げ馬だという。宝塚記念では勝った。林先生は、ダノンデサイルだという。ダービー馬だという。村上さんはジャスティンパレスに期待するという。ダノンデサイルがいいとなすなかにしが言う。
有馬記念は、出走する馬や人はもちろん、声援を送るわたしたちも主人公にする。
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