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「黄金伝説」 のテレビ露出情報

ゲストのアンタッチャブルが登場した。10年間の紆余曲折があったコンビ。2人は今会う頻度は週に1~2回程度だという。楽屋で話すか?について、ヤマザキはロケ弁当の話をしたと答えた。一方、オードリーは楽屋が別々で、話したいことはお互いラジオで話しているという。また山崎は今回楽屋挨拶に若林だけ来てくれたと話した。一方で柴田は50歳になるというがとにかく元気だがひたすら歩いているというが、一時間ほど余裕で歩くという。しかし相方の山崎も相当な体力持ちだと伝えた。また過去に共演した番組の黄金伝説について、オードリーとアンタッチャブルはその過酷さを語ったが、13時間という長回しで先輩も疲労困憊の中、アンタッチャブルは漫才のテンポで元気を振りまいていたという。しかし山崎は何を話していたが覚えていないと語った。若林は24時間内職をしなければいけない企画に自身は疲弊していたが、山崎は元気だったと振り返った。
またアンタッチャブルのネタ作りについて作家はおらず、柴田が場所を取って2人で集まってつくっているという。そのネタ作りはだいたいそんな感じとアバウトに終わることがよくあるという。しかし山崎は誰も見ていない中で怒っているように漫才を行うのが恥ずかしいと答えた。また柴田は山崎がネタの打ち合わせと本番で全く違うことをするのでヒヤヒヤすると答えた。一方、山崎は関西のように関東は当たり前にお笑いがあるわけではなく、高校卒業から急に漫才師の振る舞いをするにあたり、練習を沢山するのはいいことだが恥ずかしいと答えた。さらに柴田は未だに漫才が途中で終わってしまうことが多々あるという。山崎のアドリブに自身が笑ってしまうという柴田は、時間制限いっぱいにネタの入口で終わってしまうこともあると答えた。さらにアンタッチャブルは人力舎に94年に入所した。2人はまず関西芸人と組まされたが、その頃は関西弁を喋る芸人は自然と上だと思っていたという。養成所ではそうした関西弁を使う芸人が地位をあげていたと語った。そして講師だった先輩芸人に関西弁でコンビを組んでみては?と言われ山崎と柴田がコンビを結成した。
しかし当時のアンタッチャブルは互いがボケだったというが、関東芸人はボケへのあこがれが強かったという。柴田は台本がツッコミから始まったので自分がそこを読むことで自然にツッコミ担当になっていったという。そして当時は即席コンビだったが、結果が出るにつれて、一緒になる機会が増えていったという。また当時は所属事務所のライブが定員割れしていたという。その頃にはネプチューンやアンジャッシュなどの芸人がいたが、自分たち若手はそうした先輩芸人のやりとりでピリついていたと語った。
アンタッチャブルはボキャブラ天国に芸歴3年で出演。柴田はその当時の思い出にスタジオが怖かったというが、入れ替えで先輩たちもすごかったと答え、まさに戦場だったと言う。山崎は当時のお笑いはしっかり面白くないと評価された時代で、審査員が笑えばニュースになるような時代だったと振り返った。またボキャブラ天国のディレクターもかなり厳しかったと答え、マイナークラスの芸人が滑るとスタジオの外に出されていたという。さらに話題は虎の門という番組について。若林も若手時代には出演経験もあるが、放送が終わった時に番組スタッフが山崎に向かってなぜあの返しをした?とダメ出しをしていた姿に心が折れそうだったという。アンタッチャブルは当時はそうした厳しさに笑わせるために崖っぷちでピストルを向けられていたようだったと振り返った。さらに柴田は当時のM-1についても、関東の事務所の芸人は優勝できない土壌だったと語り、当時の大会のニュアンスは今のような大々的なものではなく、売れるために足がかりのようだったと振り返った。山崎はその頃借金を抱えていたが、2003年の大会で結果を出し、優勝はできなかったが仕事が舞い込んで大満足だったと答えた。
また山崎は自身が若手の頃はセンスが試される番組が多く、そうした芸風がかっこいいとされていた。しかしありのままの自分でいいと感じた時期については、テレビに出る時は斜に構え、その舞台裏で本領発揮していたという。またM-1で優勝をしたアンタッチャブルだったがMCという大きな仕事については、大役が回ってくるはずがないと、変に野望をもっていなかったことが今ではよかったと感じているという。そのために未だにコンビで楽しくゴルフにも行くと答えた。そして、柴田は2010年に芸能活動休止。山崎はピンになって活動をしていたが、しばらくコンビで復活をしなかったのはそれがめんどくさかったからだという。ピンはまずギャラがよかったと語り、また相方が芸能活動休止という出来事に周囲も優しかったのも大きかったと語った。一方で、柴田はピンで活動している時はそうした楽観視はしていなかったと語り、いつでも漫才ができるようにはしていたがその間に10年経過していたと答えた。山崎は劇的なコンビ復活になった経緯を語り、有田哲平にコンビ復活をいつにするか?と相談したという。柴田は今でも山崎は自分のツボだと答えた。また今では事務所の後輩と一緒に勉強会も行っているという柴田は、養成所の講師もしていると答えた。山崎は賞レースの審査員については乗り気ではないとしたが、若林は審査員をするうえで点数をつけた相手の人生を変えてしまうという思いに、自身の発言に疑心暗鬼になると語った。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月15日放送 18:30 - 21:54 テレビ朝日
帰れマンデー見っけ隊!!大人気秘境ローカル線 祝100周年 大井川鐵道SP
サンド、江口のりこ、矢部太郎、飯尾和樹が大井川鐵道で飲食店探し。奥泉駅に到着、バスで寸又峡温泉入口へ向かう。矢部と飯尾は黄金伝説で釣ったワカサギだけ1週間生活をした話をした。バスを降りて飲食店を探した。

2025年8月2日放送 8:30 - 10:25 フジテレビ
土曜はナニする!?日帰りぷらっとりっぷ
タカアンドトシのトシとSHELLYが湯沢高原ロープウェイで山頂駅へ。山頂駅でタカと合流した。

2025年7月23日放送 23:06 - 23:55 テレビ東京
あちこちオードリーあちこちオードリー
ゲストの石原良純と谷まりあが登場。石原家は国会議員や芥川賞作家などと活躍。大スターの石原裕次郎の兄でもある父をどう思っていたのか?良純は父にずっと機嫌悪いと答えた。また若林は石原慎太郎が物怖じしない記者とのやり取りが印象に残っていると語る。良純は作家なので言葉の天才で、それがおもしろかったと答えた。次に谷まりあの経歴を紹介。学業に専念し早稲田大学に通っていた[…続きを読む]

2025年6月16日放送 0:40 - 1:10 テレビ朝日
有吉クイズ懐かしのテレビ欄穴埋めQ
有吉らがQ「2000年土曜日のテレビ欄穴埋めQ」に挑戦。有吉らはフジテレビ土曜8時の番組などについて「めちゃイケ」などと予想し、当事放送されていた企画「めちゃ日本女子プロレス」などを懐かしんだ。

2025年6月11日放送 2:36 - 2:55 テレビ朝日
声優談子(声優談子)
芸人よりも声優を志望する人は多いとされる。「売れたと思った瞬間は?」という質問に対し、井上は「アシンメトリーなヘアスタイルをしたら、世の中からその髪型が消失した」と主唱。堂本剛によって始まったブームに終止符を打ったという。野田クリスタルは「中トロ2回いった」、神尾晋一郎は「テレビ番組の出演、『THE FIRST SLAM DUNK』のオーディションオファー」[…続きを読む]

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