家族で守る東京100年食堂。千代田区神田、天保元年創業、アンコウ料理専門店のいせ源。店は東京都の歴史的建造物にも選ばれる趣のあるたたずまい。玄関横にあるショーケースには本物のあんこうが飾られ、客を出迎える。暖簾をくぐると下足札を手渡され、上がった座敷はまるで過去にタイムスリップしたかのよう。ランチどきには外国人観光客や家族連れでにぎわう。
あんこうをさばくのは7代目で店主の立川博之さん。接客を担当するのは博之さんの母で女将の康子さん。店の看板メニューがあんこう鍋。身や肝など7種類の部位と椎茸やうどなどの野菜と一緒に割下いただくのはいせ源流。いせ源ではあんこうを1匹まるの状態で仕入れる。この日は北海道・寿都産。それを吊るし切りにして7つの部位に切り分ける。部位ごとに下茹で。汚れを落とし大きな骨を外し、丁寧に下ごしらえする。割下は利尻昆布と3種類の削り節を琥珀色になるまで煮出す。そこに代々当主だけに伝えられる伝統のかえしを合わせる。おいしいあんこう鍋をいただいたあとの楽しみはおじや。ほとんどの人が頼むという。この味を求めて池波正太郎や小津安二郎もよく訪れた。千代田区神田、荒川静香の映像。写真:毎日新聞社/アフロ。東京マラソンに言及。
この味を求めて池波正太郎さんや小津安二郎さんもよく訪れたという。小津安二郎さんは窓際の席にいつも座って甘味処の竹むらを眺めながら食べるのがお気に入りだったという。
いせ源の創業はいまから194年前。七代目の博之さんは当時のことを「最初は京橋でどじょう屋だった。席数も100はゆうに超える大きな店だった」など言い伝えられてきたという。2代目からは神田でいまのいせ源としてあんこう鍋の他にも様々な鍋料理と定食をだしていた。4代目の政蔵さんのときにあんこう鍋がヒットしあんこう料理専門店になったのだそう。鍋とともに人気なのがきも刺し。まずあん肝を姿のまま蒸し上げる。きも刺はその中心部のいいところだけを使い端っこは鍋などに使う。もみじおろしをのせてポン酢につけていただけば旨味が広がる。昭和57年、店主の7代目博之さんが誕生。店はあんこう鍋といえばいせ源と言われるほど順風満帆だった。しかしトリノ五輪で荒川静香さんが金メダルに輝いた平成18年。いせ源氏に最大のピンチが。博之さんの祖父で5代目の源次郎さんががんで入院。さらに時を同じくして父の6代目修一郎さんも入院。大黒柱2人を欠いた店のピンチに当時店の銀行員として働いていた息子の博之さんを店に呼び戻した。博之さんは「自分1人では自身がないという母からのひと言があった時には決心がついた」などコメント。康子さんはいずれ店に入る博之さんのために内緒でフロッピーにレシピを落としてプリントアウトしたものといっしょに自宅の金庫に入れていたという。そして、初めて東京マラソンが開催された平成19年。5代目源次郎さんが亡くなり6代目と博之さんで店を守っていくことに。そんな店でいつの時代も人気なのはあんこうの唐揚げ。2日ほど寝かせ旨味を引き出した切り身を片栗粉にまぶし、白絞油で揚げた一品。からっとあがった切り身は山椒塩につけていただく。京橋と神田で194年、店を息子と守る康子さんは「皆さんに愛されて。まだまだ未熟なのでご指導いただいき大きくしてもらいたい」などコメント。7代目の博之さんは「女将を尊敬する姿というのは店に入ってからしれた部分もあるので。先代にも従業員にも感謝」などコメント。
あんこうをさばくのは7代目で店主の立川博之さん。接客を担当するのは博之さんの母で女将の康子さん。店の看板メニューがあんこう鍋。身や肝など7種類の部位と椎茸やうどなどの野菜と一緒に割下いただくのはいせ源流。いせ源ではあんこうを1匹まるの状態で仕入れる。この日は北海道・寿都産。それを吊るし切りにして7つの部位に切り分ける。部位ごとに下茹で。汚れを落とし大きな骨を外し、丁寧に下ごしらえする。割下は利尻昆布と3種類の削り節を琥珀色になるまで煮出す。そこに代々当主だけに伝えられる伝統のかえしを合わせる。おいしいあんこう鍋をいただいたあとの楽しみはおじや。ほとんどの人が頼むという。この味を求めて池波正太郎や小津安二郎もよく訪れた。千代田区神田、荒川静香の映像。写真:毎日新聞社/アフロ。東京マラソンに言及。
この味を求めて池波正太郎さんや小津安二郎さんもよく訪れたという。小津安二郎さんは窓際の席にいつも座って甘味処の竹むらを眺めながら食べるのがお気に入りだったという。
いせ源の創業はいまから194年前。七代目の博之さんは当時のことを「最初は京橋でどじょう屋だった。席数も100はゆうに超える大きな店だった」など言い伝えられてきたという。2代目からは神田でいまのいせ源としてあんこう鍋の他にも様々な鍋料理と定食をだしていた。4代目の政蔵さんのときにあんこう鍋がヒットしあんこう料理専門店になったのだそう。鍋とともに人気なのがきも刺し。まずあん肝を姿のまま蒸し上げる。きも刺はその中心部のいいところだけを使い端っこは鍋などに使う。もみじおろしをのせてポン酢につけていただけば旨味が広がる。昭和57年、店主の7代目博之さんが誕生。店はあんこう鍋といえばいせ源と言われるほど順風満帆だった。しかしトリノ五輪で荒川静香さんが金メダルに輝いた平成18年。いせ源氏に最大のピンチが。博之さんの祖父で5代目の源次郎さんががんで入院。さらに時を同じくして父の6代目修一郎さんも入院。大黒柱2人を欠いた店のピンチに当時店の銀行員として働いていた息子の博之さんを店に呼び戻した。博之さんは「自分1人では自身がないという母からのひと言があった時には決心がついた」などコメント。康子さんはいずれ店に入る博之さんのために内緒でフロッピーにレシピを落としてプリントアウトしたものといっしょに自宅の金庫に入れていたという。そして、初めて東京マラソンが開催された平成19年。5代目源次郎さんが亡くなり6代目と博之さんで店を守っていくことに。そんな店でいつの時代も人気なのはあんこうの唐揚げ。2日ほど寝かせ旨味を引き出した切り身を片栗粉にまぶし、白絞油で揚げた一品。からっとあがった切り身は山椒塩につけていただく。京橋と神田で194年、店を息子と守る康子さんは「皆さんに愛されて。まだまだ未熟なのでご指導いただいき大きくしてもらいたい」などコメント。7代目の博之さんは「女将を尊敬する姿というのは店に入ってからしれた部分もあるので。先代にも従業員にも感謝」などコメント。
住所: 東京都千代田区神田須田町1-11-1
URL: http://www.isegen.com/
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