昭和100年から紐解く「家電問題」。昭和の暮らしを象徴する三種の神器。昭和28年に登場した白黒テレビ。当時繁華街などに設置された街頭テレビの前は野球やプロレス中継を見る人でにぎわった。2つ目は電気冷蔵庫。昭和35年に発売された電気冷蔵庫の価格は約6万円だった。3つ目は電気洗濯機。3万円台で売り出された。当時は洗濯機が設置された文化洗濯場と呼ばれる場所を30分30円で利用する人が多かった。昭和36年頃には洗濯機の普及率は50%を超えた。昭和40年代にかけて新三種の神器へ。昭和49年、普及率が85%を超えたカラーテレビ、自動車、クーラー。それぞれの頭文字を取って「3C」と呼ばれた。現在は1人1台の保有が当たり前となった携帯電話(出典:総務省)。昭和30年半ばまでは住宅用電話でさえほぼ普及せず。たばこ店などの軒先に店頭電話として設置されていた。当時は待ち合わせには駅の伝言板なども利用された。やがて公衆電話が普及し、昭和の終わりにはポケベルが大流行。ポケベルの送信に公衆電話を利用したこともあって、昭和60年には公衆電話の設置数は93万台に上った。しかし現在は11万台ほど、利用率はここ20年で98%ほど減少している。今年はVHSテープの終了も予想されている。昭和51年に発売されたVHS第1号ビデオデッキ。2016年をもってビデオデッキの生産は終了。磁気テープの劣化などによりユネスコ・国連教育科学文化機関などは「2025年までにデジタルデータ化されなければ大半が永遠に失われかねない」と警鐘を鳴らした。ダビング作業を行っている店舗(ダビングコピー革命)には依頼が殺到している。