憧れだったテレビ業界に就職した原山修一さんは仕事を通じて梅沢富美男と出会う。同郷だった梅沢に勝手に親近感を湧かせていたという原山さん。周りから仕事を任されるようになってからは積極的に自分の担当番組に出演オファーをしていたという。原山さんは36歳の時、テレビ業界から離れることに。理由は、先代の社長が急逝するなどして家業である会津木綿工場が閉鎖の危機に陥ったため。現在は会津木綿の魅力を伝えるためにビームスジャパンなどとコラボしたり海外イベントに出展したりと尽力している。
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