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「しあわせ運べるように」 のテレビ露出情報

阪神・淡路大震災から、きょうで30年。震災直後、兵庫県立淡路病院で現場の指揮を取ったのは、外科部長だった松田昌三医師。状況を聞きその場で治療を続ける患者と、治療をやめる患者を決めていく。重症者が次々と運ばれ、決断が迫られる中で諦めなければならない命もあった。今も水谷医師の心残りになっていることは、震災で孫を失った祖母が「孫が死んでしもうて、私生きててもしゃあない」と言った言葉だった。主治医として何も言えなかったことがずっと心残りだという。水谷医師は震災を通じて得た様々な経験を次の世代に伝えるべく、学生らに災害医療の講義を行っている。
阪神・淡路大震災から、きょうで30年。瓦礫と化した神戸の町から生まれ、今も愛され続けている歌がある。作詞作曲した臼井真さんは、震災当時は小学校の音楽教師として勤務していた。臼井さんによると、自宅の1階部分が完全に潰れてしまい、もし1階にとどまっていたら死んでいたなという状況だったという。命は助かったが、地震に怯える毎日。そんな日々を2週間ほど過ごした時、臼井さんは「子供たちの声で町を元気づけ、復興を後押ししたい」という思いで合唱曲「しあわせ運べるように」を作り上げた。神戸市内の小学校をはじめ、追悼式典や成人式でも歌い継がれてきた曲。新潟県中越沖地震や東日本大震災などの被災地でも歌われ、復興を願う歌として全国に広がっている。阪神・淡路大震災から30年、震災を乗り越えた人たちが今思うことは「家族や親戚に犠牲者が一人もいなかったから、今があると思う」「全くの白紙状態で被災したら動けない、少しでも経験したことを次の災害に生かしていきたいと思う」「今の当たり前の毎日がいかに幸せであるか常に感じて、時間を大切に生きていきたいと思う」とそれぞれに話していた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年1月17日放送 15:45 - 19:00 フジテレビ
イット!All news 4
天皇皇后両陛下は阪神淡路大震災の30年追悼式典に出席され、天皇陛下は犠牲者に哀悼の意を表したうえで、震災を経験していない若い世代の活動に触れられた。式典では神戸の復興を願い歌い継がれてきた「しあわせ運べるように」を地元の小学生が合唱した。両陛下の長女・愛子さまはお住まいの御所で黙祷され、上皇ご夫妻も発生時刻に合わせ黙祷された。

2025年1月17日放送 13:55 - 15:50 日本テレビ
情報ライブ ミヤネ屋(ニュース)
阪神・淡路大震災から30年。多くの人が祈りを捧げた。追悼行事が行われている会場に描かれているのは“よりそう”という文字。陸前高田市からも黙祷をしていた。天皇皇后両陛下は阪神淡路大震災30年追悼式典に出席された。

2025年1月17日放送 13:05 - 13:55 NHK総合
列島ニュース阪神・淡路大震災30年
兵庫県などが主催する阪神・淡路大震災30年追悼式典で、天皇陛下は皇后さまと共に式典に臨み、黙祷を捧げたあと、お言葉を述べられた。献唱曲として、「しあわせ運べるように」が歌われた。

2025年1月14日放送 6:00 - 6:30 NHK総合
NHKニュース おはよう日本阪神・淡路大震災30年
各地で二十歳を祝う会が開かれたが、阪神淡路大震災から30年となる神戸市でも会が開かれた。およそ8800人の参加者が震災をきっかけに作られた「しあわせ運べるよう」にという歌を歌った。震災直後から歌われ続けるこの曲。震災を経験していない20歳の若者自らが、祝う会で歌うことを希望した。その思いは7時台に。

2025年1月13日放送 19:00 - 19:30 NHK総合
NHKニュース7(ニュース)
きょう成人の日。山口・防府で矢を放って邪気を払う弓始式。京都府長岡京市では、自治体が開催する催しに参加することが難しい若者のために、特別支援学校の卒業生の保護者などが式典を開いた。
原子爆弾が投下され、8月で80年になる広島市。会場には、折り鶴を作るコーナーも設けられた。式典で広島市・松井市長は、日本被団協が去年、ノーベル平和賞を受賞したことに触れた。今月[…続きを読む]

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